1960年代に活躍したブルー・アイド・ソウルの名バンドです。
1948年生まれ。1972年に「The B-52 Band & the Fabulous Skylarks」でデビュー。その後、Elvis Costello氏、Los Lobos、Roy Orbison氏ら数多くのミュージシャンのプロデューサーとしても活躍。矢野さんの「Japanese Girl」はリリースされたときからの愛聴盤で、プロデュースの依頼に対し「30年間待っていたんだ」と応えたそうです。
1965年にデビューし、ウエストコースト・ロックの基礎を築いたとも言われるバンドです。「You Showed Me」は、彼らの最初期の作品ですが、アルバムに収録されたのは1969年の「Preflyte」が最初です。この曲は、The Turtlesによるテンポを落としたアレンジで大ヒットしています。
本当はハワイの日系二世の方の作品ですが、ここではMartin Denny氏のバージョンが有名としてここに入れておきます。彼は、1911年生まれ。ハワイを拠点にしたエキゾチック・ミュージックの大御所です。氏のアルバムではに収録されています。また、細野晴臣さんもカバーしていますし、70年の映画M★A★S★Hで使われたバージョンも有名です。
井田真人さん、山下元裕さん、ありがとうございました。
1965年、ロサンゼルスで結成されたロックバンド。ボーカリスト Jim Morrison氏(1971年 死去)の過激なステージパフォーマンスとその詩作により、カリスマ的人気を博しました。
'70年代から活躍するA.O.R.系のミュージシャンです。因みに「STRING OF PEARLS」が収録されているアルバム「dragonfly summer」にはGil Goldstein氏やToninho Horta氏も参加しています。
ジャズ畑で独自の音楽を追究するギタリスト。矢野さんとは、1991年のTokyo Music Joyで共演されました。
Gil Goldstein氏は1950年生まれのジャズ・ミュージシャン(キーボード・プレイヤー)です。「LOVE IS HERE」コンサートから矢野さんファンにもおなじみですね。
あいもとさん、ありがとうございました。
Harpers Bizarreは60年代後期に活躍した「バーバンク・サウンドの至宝」であり、ソフト・ロックのカリスマ的バンドと言えるのだそうです。1967年に出たファースト・アルバムに収められたこの曲は、その後、作者のRandy Newman氏によるセルフ・カバーが氏の「Sail Away」に収録されている他、何人かのミュージシャンが取り上げています。
藤田 淳さん、ありがとうございました。
1948年、ブラジル生まれのジャズ・ミュージシャン(ギタリスト)です。彼も「LOVE IS HERE」コンサートから矢野さんファンにもおなじみですね。
あいもとさん、ありがとうございました。
1968年に結成されたイギリスを代表するハード・ロックバンド。ギターのJimmy Page氏、ヴォーカルのRobert Plant氏、ベースのJohn Paul Jones氏、ドラムスのJohn Bonham氏の四人編成。1980年、John Bonham氏の死去により解散しましたが、後に、彼の息子 Jason Bonham氏をドラマーに迎えた再結成公演も行っています。また、北京オリンピックの閉会式では、Jimmy Page氏のギターとLeona Lewis嬢のヴォーカルで"Whole Lotta Love"が演奏されました。
Pat Metheny氏は1954年生まれのスーパー・ジャズ・ギタリスト、Lyle Mays氏は1953年生まれのジャズピアニストです。この二人はPat Metheny Groupとしても活躍していますが、この曲の名義はこうなっています。
1925年生まれのジャズ・ギタリスト。オクターブ奏法でしたっけ、トレードマークは。
1903年、イギリス生まれの作曲家、編曲家、ピアニスト、バンド・リーダー。'30年代が活躍の中心です。
1936年生まれのブラジルのジャズ・ミュージシャンです。ギター、ピアノ、アコーディオンにサックスもこなします。
あいもとさん、ありがとうございました。
1953年生まれのアメリカのジャズ・ギタリスト。Miles Davisとも一緒にやっていました。とにかく上手いです。
1948年生まれのアメリカのシンガー・ソングライター。'70年代初期が全盛期でしょうか。アコースティック系のフォーク調のソフトロックのミュージシャンです。
1963年から69年にかけて活躍したバンドです。結成当時は"Crossfires"という名前のsurfバンドでしたが、その後名前を変え、フォーク/ロックバンドとしてメジャーになりました。「You Showed Me」は、元はThe Byrdsの曲でしたが、The Turtlesが、オリジナルよりテンポを落としたカバーを大ヒットさせました。The Hammondsの作品は、こちらの方に近いように思います。
1960年から活動を続ける超ベテラン・ギター・バンド。日本とも馴染みが深く、歌謡曲の作曲を手がけたりもしています。来日公演は、日本の夏の風物詩とも言えるでしょう。
1923年生まれのカントリーミュージックの父。矢野さん曰く「アメリカでは日本で言う美空ひばりに匹敵する皆お馴染みのミュージシャン」です。1953年、コンサート会場に向かうキャディラックの中で死亡しました。
1964年結成、後にRASCALSに改名。ブルー・アイド・ソウルの代表的バンドです。
1948年生まれ。矢野さんのデビュー・アルバムは、同じ年に発売された彼のLP「日本少年」から名づけられたということです。
香港から来たアイドルでしたね。いまでも活躍中。
忌野清志郎氏が率いていたロックバンド。「多摩蘭坂」もお気に入りの曲のようです。
井上陽水氏の奥さんでしたっけ。
矢野さんとはお友達でもあるようですね。
「詩人の血」の3人のメンバーのうち、2人が結成したバンド。
ユニコーン解散後も精力的な活動を続け、渋谷ジァンジァンでのラスト・コンサートのゲストとしても登場されました。その後も、「Beautiful Songs」への参加、「Money Song」の共作と、矢野さんとの親交は深まっています。2008年 夏の公演では、「股旅(ジョンと)」も披露されました。
小田和正氏率いるニューミュージックグループでした。昔、ライブで演った「Yes No」も是非CD化してもらいたい名演でした。
何度かメンバーチェンジを繰り返し、「夢を見る人」リリース時のメンバーは3人。現在では、田島貴男氏のソロプロジェクトになっています。
ムーンライダーズのドラマーです。
フォーク・クルセダーズからサディスティック・ミカ・バンド、そしてその後もソロで活躍しています。
立命館大学の音楽サークルに所属していた岸田繁氏らを中心に1996年結成。1998年メジャー・デビュー。彼らが主催するイベント「百鬼夜行2002」に矢野さんがゲスト出演されたこともあります。
彼らの「春風」もライヴで取り上げています。
'68年から69年、細野さん達とフローラル、さらにエイプリル・フールというバンドを組んでいました。今ではゴスペル・シンガーとして活躍されているそうです。
フォーク界の重鎮です。1971年のファーストアルバム「私は月には行かないだろう」に収録され、当時、NHK「みんなのうた」でもオンエアされた「雨が空から降れば」も、ライヴで取り上げられることが多く、将来のCD化が期待されます。
永遠のロックン・ロール少年と言えるでしょう。デビュー当時「和製ブルース・スプリングスティーン」と呼ばれてました。
1988年デビューのシンガー・ソングライターです。
ジャニーズ事務所が誇るアジア随一のアイドル・グループ。アルバムに豪華ミュージシャンが参加していることでも有名。「Hey Hey おおきに毎度あり」のカバーもライヴでは披露しています。
1964年生まれ。ソロ・デビュー前に高橋幸宏 & 鈴木慶一のユニット「ザ・ビートニクス」のツアーにギタリストとして参加したりもしています。かつての「ソリトン Side B」の司会者としても印象に残っています。
詩人、谷川俊太郎氏の息子さんでもある音楽家、谷川賢作氏を中心にしたトリオ。
日本を、いや、世界を代表するシンセサイザー奏者ですね。代表曲は「NHK今日の料理」のテーマ、というのは失礼か。
ベテラン・シンガーソングライター。矢野さん曰く「スナフキンのような人」だそうです。ライヴでは「すばらしいさよなら」も取り上げています。
ハワイアン歌謡の歌手としてデビューし、1970年、林春生(サザエさんのテーマ曲の作詞者)作詞、The Ventures作曲、という企画物の怪作「京都の恋」「京都慕情」を大ヒットさせました。カバーしたのは「京都慕情」の方です。
矢野さんの主治歯科医、サエキけんぞう氏率いるバンドです。「パールトロン」収録作では、「トロン岬」や「洪水デート」も、何度かライヴで披露されています。
ムーンライダーズの前身と言えるバンドです。
日本語によるロックの先駆者。大滝詠一、松本隆、細野晴臣、鈴木茂という錚々たるメンバーでした。
1959年から75年まで活躍していた双子の女性歌手。モスラの小美人役でも有名。
加藤和彦が大学生時代に組んでいたバンドです。テープの早回しという当時では斬新な手法を用いた「帰って来たヨッパライ」で有名。
他のバンド・ブームの最中にデビューしたバンドとは一線を画した音楽性を保っていますね。
エイプリル・フール、ハッピィ・エンド、ティンパンアレイ、キャラメル・ママ、YMOと日本の音楽シーンに多大な影響を与え続けるミュージシャンです。
矢野さんとは、デビュー前の彼が、教授の「サウンドストリート(NHK FM)」にデモテープを投稿して以来の親交になるようです。
民謡・歌謡曲の歌手です。ミッチーなんて呼ばれて若者うけした時期もありました。
THE BOOMを率いる宮沢氏とは、かつて「アクセク」なるユニットを結成。衣装に関する方向性の違いから解散後、再度「ムナシー」としてユニット再結成....だそうです。
デビュー当時から矢野さんとの親交が深い、日本最古の現役ロックバンド。
日本ポップス界の職人。
奥田民生氏が在籍していたバンドです。ジァンジァンで共演した「大迷惑」も忘れられない熱演でした。
橋本礼奈さん、ありがとうございました。
1960年代の中頃から70年代の初めにかけて活躍したカリフォルニア出身のバンド。この曲は、矢野さんの英語圏での公演では定番の一つのようです。
1954年結成。後のミュージシャンにも多大な影響を及ぼした、ロックンロール創生期から活躍した兄弟。この曲も、矢野さんの英語圏での公演では定番の一つのようです。
S&Gの歌唱で有名になった歌です。さとがえるコンサート'96で演奏したのをはじめ、何度も取り上げています。
Steve Winwood氏率いるバンドです。ピアノ・ナイトリィコンサートでCDに合わせて歌い始めました。
Todd Rundgren氏率いるバンドです。「If I Didn't Try」は、1997年5月のコンサート「クリームシチュー」で演奏されました。この時は、開演前のBGMもUTOPIAの曲でした。「I Will Wait」は、1997年7月のハモンズのライブで、UTOPIAのメンバーでもあるKasim Sulton氏とデュエットしました。
Burt Bacharach氏の名作にして、Dionne Warwick氏の代表曲。この曲も、矢野さんの英語圏での公演では定番の一つのようです。
2003年、鎌倉芸術館での矢野顕子リサイタルで演奏されました。
さとがえるコンサート'96府中の森で演奏されました。
"@watanabe"さん、ありがとうございました。
さとがえるコンサート 2003で演奏されました。