IN/OUT (2017.5.28)

区の自転車シェアリングのサイクルポートが、自宅近辺に一気に増えてきました。ここに置いてある自転車を登録者が共同で使える、いわゆるシェアリング・エコノミーの一つですね。いくつかの料金プランがあるようですが、最も手軽なもので、最初の30分が150円、以降 108円/30分で24時間まで。サイクルポートが近くにあれば、駐輪場の心配も無く、かなり気軽に使える仕組みだと思います。私は使ったことはありませんが、利用者も急増しているようで、特徴的な赤い電動アシスト付き自転車に乗っている人を見かけることが多くなっています。


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「ミュシャ展」@ 国立新美術館17.5.27

国立新美術館国立新美術館で絶賛開催中の展覧会に行ってきた。

19世紀の終わりから20世紀初頭に活躍したチェコ(当時は、オーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア)出身のAlfons Maria Mucha。アール・ヌーヴォーを代表する画家として、フランスを舞台に、主にポスターの分野で名声を博した後(「ミュシャ」は彼の名前をフランス語風に発音したもの)、50歳の時に帰郷。晩年に、20枚からなる大作シリーズ(小さい物でも、一辺4メートル、大きい物は、横幅8メートルを超える)「スラヴ叙事詩」を描いた。この作品群が、20枚全て、国立新美術館に集結。日本とチェコが国交回復してから60周年を記念してということだが、チェコ以外で全点展示されるのは、これが初だという。なお、この展覧会では、スラヴ叙事詩に関しては、作者名を、日本で従来用いられてきた「ミュシャ」ではなく、チェコ語の発音「ムハ」で表記している。

その迫力から、大評判となっている展覧会で、平日ですら超満員という噂を聞いていた。そのため、出かけるのを躊躇していたのだが、先日、青森県立美術館で観た「シャガール『アレコ』全4作品完全展示」で、美術素人にとって巨大さは正義だと実感。やはり、この目で観てみることにした。

開館時刻の10時ちょっと前に到着したのだが、すでに、長蛇の列。国立新美術館入場まで35分ほど掛かった。ようやく入った展示室は、いきなり「スラヴ叙事詩」が、どーんと展示されている。普通なら、アール・ヌーヴォー時代のポスターなど小品から(これらも、かなりの数が出展されているのだ)時系列で展示していき、最後のクライマックスに「スラヴ叙事詩」を持ってきそうなものだが、出し惜しみ感一切無し。20枚の大作を一気に展示できる巨大な空間を持つ国立新美術館ならではの迫力の展示方法だ。やはり、巨大さは正義。この空間に身を置くという体験だけで、長時間の行列の元は取れた。

巨大であるが、それぞれの絵に込められた情報量も多い。チェコという国やスラヴ民族の歴史に馴染みの無い私には、オーディオガイドの解説がありがたい。とにかく人が多く、絵の脇に添えられた解説文に近づくのも大変なのだ。ただ、絵そのものから私が受けた印象は(巨大さを差し引けば)、生頼範義が描いたハヤカワ文庫の「ハイペリオン(ダン・シモンズ作)」シリーズの表紙みたいだな、というものだ。それよりも、華やかなパリでの商業的成功の後、祖国に戻ってこの大作を仕上げた画家の気概に打たれたのである。


「我的特工爺爺」17.5.28

サモ・ハン(洪金寶)が、20年ぶりに監督・主演した作品を観てきた。英語タイトルは"My Beloved Bodyguard"。邦題は「おじいちゃんはデブゴン」。アメリカではTVシリーズ"Martial Law"(1998年~2000年)に主演し、高い評価を得たサモ・ハンだが、日本では相変わらず「燃えよデブゴン」(1978年)の印象が強いのである。ただし、「燃えよデブゴン」の原題は"Enter the Fat Dragon"で、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」="Enter the Dragon"のパロディ作として、真っ当な邦題の付け方だと思うが、今回はデブゴンを使う必然性は無いと思う…

サモ・ハンが演じるのは、長年、人民解放軍で要人警護を担ってきた凄腕の軍人だったが、引退した今では、認知症の初期症状で物覚えが悪くなっている太めのおじいちゃんだ。独り暮らしをしているが、隣に住む少女のことを孫のように可愛がっている。しかし、少女の父親がロシアン・マフィアと中国ギャングの抗争に巻き込まれ、彼女にも危険が迫る。そして覚醒するサモ・ハンの必殺拳!

ストーリーはシンプル。よくあるパターンで驚きは無い。が、紛れもないサモ・ハンの映画が帰ってきたという手応えが嬉しくなる。彼の監督復帰を祝ってか、ツイ・ハークやユン・ピョウなど、錚々たるゲストが顔を見せるのも楽しい。特に、製作と主題歌の歌唱も担当したアンディ・ラウが、ギャングに追われる損な役回りを熱演する姿に、香港映画人の熱い友情を感じてしまう。

なお、この映画はR15+指定。バイオレンス表現が、相当エグいのだ。動けるデブとして有名なサモ・ハンのアクションは健在とはいえ、今時の若手のようなスピードは無理。しかし、アクション監督も兼ねているサモ・ハンは、CGを使った小手先の演出などに頼らない。その代わり、敵の腕や足の骨を徹底的に折りまくる、リアルに痛いアクションを展開しているのだ。このこだわりも、さすがサモ・ハンだ。


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「日本デビュー45周年記念 アグネス・チャン コンサート ~朗らかに歌う~」@ 中野サンプラザ17.5.23

アグネス・チャンのデビュー45周年記念コンサートを観に、中野サンプラザに行ってきた。

特に、彼女の熱心なファンというわけでは無いのだが、矢野顕子の「ひとつだけ」と「想い出の散歩道」のオリジナルは彼女なのだ。そのため、アグネスのベスト盤は持っているのだが、初期の楽曲(当時、バックをキャラメル・ママや矢野顕子が務めていた)のクオリティの高さと、彼女のヴォーカルの可愛らしさ(日本の歌謡曲史上、最強に可愛い歌声だと確信)に感じ入り、一度、ライヴを観たいと思っていた。さらに、今回の公演には、あの人もゲスト出演するという。これは、行かねばの娘、なのである。

とは言え、初参戦の公演。会場の雰囲気(見るからに善男善女という人達多し)にアウェイ感を覚える…。ステージ上のバックバンドは、ドラムス、ベース、ギター、キーボード二人、合わせて5人。全員、座っての演奏だ。

そして、登場したアグネス。デビュー45周年ということは、それなりのお年なのだが、可愛い。そして、歌い始める初期のヒット曲群。ほとんど全部、一緒に歌えるぞ。昔の歌謡曲らしく、一曲ずつが短く、テンポ良くステージは進む。ただし、大御所に提供してもらった曲として、吉田拓郎作「アゲイン(私が、アグネスの作品の中で一番好きな歌だ)」とユーミン作「白いくつ下は似合わない」を歌ったのに、「ひとつだけ」を取り上げなかったのは不満だ。

休憩を挟んだ第二部は、香港、台湾、中国などでヒットした曲からスタート(アグネス・チャン=陳美齡は、元々、香港でデビュー。中華圏でも活躍している)。そして、バンド紹介の後、本日のゲスト、清水ミチコ登場! 軽く会話した後、アグネスとバック・バンドは退場し、清水ミチコ単独ライヴ。もちろん、ミッちゃんのピアノを弾きながらの鉄板ネタは面白く、会場の受けも良かったのだが、もう少し、アグネスとの絡みがあると期待していたので、残念。

ミッちゃんの後は、再び、アグネスとバンドが戻り、最近の曲を披露。

せっかく、清水ミチコをゲストに呼んだのだから、矢野顕子の曲を演るのではないかという期待は外れたし、正直、音楽的に深い感銘を受けるコンサートでは無かった。ただ、「ポケットいっぱいの秘密」の歌詞に、「ア・グ・ネ・ス」をアイウエオ作文的に隠した松本隆の遊び心や、「ハロー・グッバイ」は柏原芳恵がヒットさせる前に、アグネスのシングル「冬の日の帰り道」のB面だったなど、トリビアを沢山仕入れる事ができたのは収穫。そして、それ以上に印象的だったのは、デビュー当時から一向に進歩していない舌足らずの片言日本語で惑わされそうになるが、喋っている内容を聞くと、実は彼女は、主張すべき事はきちんと主張する、自我の強い人だということだ。

ここまでなら、それなりに楽しいライヴ体験だったのだが、最後の三曲が良くなかった。山本伸一(池田大作が作詞の際に使う筆名)が書いた詞にアグネス自身が曲をつけた作品だが、これらの曲を紹介するときのテンションが異様に高い。聞いてるこちらは、完全に引いてしまう。アーティストの信仰心が、その芸術表現をより高めることがあるのは認めるが(そこを拒絶してしまうと、欧米の古典美術作品の多くや、音楽でもゴスペルなど、認められないことになってしまう)、私には極めて凡庸な作品という印象の、山本伸一作詞&アグネス・チャン作曲の三曲を、あの奇妙な熱量で押しつけられると、どうにも居心地が悪くなってしまう。うーん、残念な方向に行っちゃったのだなぁ…



環境面から考えても、良い取り組みだとは思うものの、結果として、私が大嫌いな、歩道を走る自転車が増えたのは、なんだかなぁという気がする、今日この頃です。