Who's 矢野顕子


button約1760字で語る矢野顕子

ピアニストとして、歌い手として、ソング・ライターとして、世界でも希有な才能と、その天分にさらに磨きを掛ける努力を惜しまぬ、矢野顕子さん。天才ミュージシャンという呼称もオーバーではないでしょう。ジャンルも国境も越えて精力的な音楽活動を続けています。

敢えてその音楽を既成のジャンルに当てはめるなら、やはり「ポップス」ということになるでしょう。しかし、クラシック、ジャズ、ロック、さらには童謡や民謡まで、幅広くカバーされた音楽性と、肉体と一体化したかのようなピアノ演奏で、独自の世界を築いています。

1955年、東京に生まれ、3才の時、青森へ転居。この頃からピアノを習い始めました。小・中学校時代を青森で過ごされた後、東京の青山学院高等部に入学。所属した軽音楽部では、卓越した実力故、一年生にして部長になってしまうという逸話を残しています。父親の友人関係で安部譲二氏の家に居候したことがきっかけで、四谷や六本木のクラブで弾き語りのバイトを始め、結局、高校は中退し、そのままプロ活動を開始。

1974年には、バンド「ザリバ」としてレコード・デビューを果たしますが、このバンドはシングル一枚のみで解散。この頃、ティン・パン・アレイ(キャラメル・ママ)と一緒にライヴやレコーディングに参加することも多かったようです。

1976年のソロ・デビュー・アルバム「Japanese Girl」には、当時の米国を代表するロックバンド、Little Featが参加、しかも、彼らからその実力を高く評価されたことでも、話題になりました。

その後、初期の数作は矢野誠氏のプロデュース。4枚目のアルバム「ト・キ・メ・キ」が初の自己プロデュース作になります。さらに、渡辺香津美氏のKYLYNや坂本龍一氏のカクトウギ・セッションといったフュージョン系の強力セッションでもその存在をアピール。1979、80年にはYMOのワールド・ツアーにサポート・ミュージシャンとして参加。無機的なステージの中で、一人飛び跳ねてピアノを弾く姿は、世界中で注目を集めました。

1980年発表のアルバム「ごはんができたよ」から、坂本龍一氏との共同作業が本格化します。化粧品メーカーのCMソング「春咲小紅」がヒットし、お茶の間への露出が増えたのもこの時期です。

1982年には、ピアノ一台あればどこへでも、の出前コンサートがスタート。ハイ・クオリティなアルバムをコンスタントに発表しつづけていましたが、1987年、家庭生活を重視するため、「グラノーラ・ツアー」を以て、一時休業を宣言します。

約一年間の休業の後、1989年、アルバム「WELCOME BACK」を発表。Pat Metheney氏が参加したジャズ寄りのサウンドが話題になりました。

1990年に、家族とともにニューヨークに移住。渡米後は、Jeff Bova氏がサウンド面で大きな役割を果たすようになります。

1996年からは、年に一回の「さとがえるコンサート」を定例化。さらに、1998年からは「出前コンサート」も復活。バンド形式の「さとがえるコンサート」と、ピアノ弾き語りの「出前コンサート」、「矢野顕子リサイタル」、「ヤノ・ラボ」(弾き語り公演でも、主催形態やゲストの有無などで、名称を使い分けているようです)で、年に数度の来日公演を続ける傍ら、映画音楽の担当、「Beautiful Songs」の開催など、その活動は、近年ますます精力的になっています。さらに、2000年にはプライベート・スタジオも完成し、まだまだ快進撃は続きそうです。

歌詞や、その声質から、「やさしい」とか「ほんわか」とか形容されることが多い彼女の音楽ですが、個人的には、高度な技量を真正面からぶつけてくるプロフェッショナルなサウンドと、心から音楽を愛しているその姿勢から、「厳しさと楽しさが高いレベルで共存した音楽」という印象をもっています。

そうした彼女の魅力は、CDよりライヴで、より発揮されていると思います。YMOを通じて矢野さんを知った人、Pat Metheny氏や渡辺香津美氏、Toninho Horta氏などジャズ方面から彼女を知った人、「みんなのうた」や「ポンキッキーズ」を見た人、坂本龍一氏の妻、あるいは坂本美雨氏の母として彼女を知った人、色々な方がいらっしゃると思いますが、彼女の音楽に興味を持たれた方で、まだライヴ・パフォーマンスを見たことが無いという人には、是非とも、コンサートに足を運ばれることをお勧めします。

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button年表

1955年
  • 2月13日、東京都生まれ

1958年
  • 青森に引っ越し
  • ピアノを習いはじめる

1970年
  • 青山学院高等部入学、軽音楽部入部。
  • ジャズスポット、ディスコ等で天才少女ジャズ・ピアニストとして活躍

1974年
  • 自己バンド「ザリバ」としてシングル盤『ある日』(作曲:筒美京平)発表。直後、ザリバ解散
  • キャラメルママ(細野晴臣・鈴木茂・林立夫・松任谷正隆)とともにLP制作のためセッションを行うが発表はせず。(後に『いろはにこんぺいとう』に収録。

1976年
  • 7月25日、1stアルバム『JAPANESE GIRL』発表
  • ティン・パン・アレイのパラダイス・ツアー同行/ムーンライダーズのライヴに参加
  • 9月12日、渋谷公会堂でデビューコンサート
  • 12月5日、デビューコンサートのライヴ録音を2ndアルバム『長月 神無月』として発売

1977年
1978年
  • 9月5日、『ト・キ・メ・キ』発売
  • 9月26日、中野サンプラザにて「ト・キ・メ・キ」コンサート。バックはYMO

1979年
1980年
1981年
  • 2月1日、カネボウのキャンペーンソング『春咲小紅』発売。スマッシュ・ヒットに
  • 「また会おね」コンサートツアー
  • 5月1日、『ただいま』発売
  • 9月25・26日、 国立劇場にて民族芸能公演:川田球舞踏団との合同演奏
  • 11月24日、渋谷ジャンジャンにてコンサート。以後、毎年恒例に
  • 12月3日、東京混成合唱団第88回定期演奏にて『ねこはねこはねこ』発表
  • 12月25・26日、西武美術館にて、ひばり児童合唱団と『楽しいお話と歌』出演

1982年
  • 5月5日、ヘンタイよいこ新聞(編集長:糸井重里)解散集会にヘンタイよいこバンド(坂本龍一・忌野清志郎・仲井戸麗市・どんべい永田他)として出演
  • 6月25日、『愛がなくちゃね』発売
  • 10月30日、 第一回出前コンサート
  • 11月25日、『FROM JAPAN TO JAPAN』発売

1983年
1984年
1985年
  • 立花ハジメ、パッケージ・デザインの4枚組シングル『BROOCH』を通販で限定発売
  • 6月2日、「BROOCH」コンサート。高橋悠治・坂本龍一の伴奏で有楽町朝日ホールにて。

1986年
  • 2月21日、『峠のわが家』発売
  • 「月刊カドカワ 5月号」から、「月刊アッコちゃん」連載開始。
  • 9月5日、『BROOCH』CD化して一般発売
  • 12月17日、赤坂ラフォーレでNHKの「Music Wave '86」出演
1987年
  • グリコ協同乳業のCM、年間テーマ曲『花のように』オンエア
  • 4月25日、青山こどもの城でマタニティコンサート出演
  • 6月21日、釧路公民館の公演をもって、出前コンサート一旦終了
  • 7月19日、渋谷ライブインで友部正人と共演
  • 8月31日、よみうりランド EASTにて「六本木ピットイン10周年コンサート」に再生KYLYNのメンバーとして参加
  • 立花ハジメのアート・ディレクションによるヴィデオ『出前コンサート』、通信販売で発売
  • 11月21日、『GRANOLA』発売
  • 11月30日〜、「グラノーラ」ツアー開始
  • ツアー終了を持って音楽活動休業を宣言

1988年
1989年
  • 一年の休養の後、4月21日、『WELCOME BACK』発売

1990年
  • THE BOOMのレコーディング参加
  • 4月、ニューヨークに移住
  • 10月、コンピレーション・アルバム『AKIKO YANO』アメリカ・ヨーロッパでリリース

1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
  • 10月21日、『PIANO NIGHTLY』発売
  • アイルランドのバンド、The Chieftainsの来日コンサートで共演
  • PIANO NIGHTLY」コンサート

1996年
  • 2月、「PIANO NIGHTLY」追加公演
  • 3月、The Chieftainsのニューヨーク公演に飛び入り参加。
  • ミスタードーナツのサウンドロゴを歌う。
  • ニューヨーク(Knitting Factory、5days)・ロンドン(Barbican Hall、1day)・パリ(Café de la danse、2days)で公演
  • 9月23日、ベスト盤『ひとつだけ/the very best of矢野顕子』発売
  • さとがえる'96」コンサート

1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
  • 3-4月、全米ツアー(6公演)実施
  • 5月、The Chieftainsの来日公演にゲスト出演
  • 5-6月、「出前コンサート/矢野顕子リサイタル/ヤノ・ラボ」開催
  • 6月4日、前年の青山劇場に続き、神戸チキンジョージで開催される「Kenji Shock」に参加
  • 9月27日、Londonで開催された「THE SONG'S THE THING」の一環で、Queen Elizabeth Hallに「Akiko Yano + Jacob Golden」として出演
  • さとがえる2001」コンサート

2002年
  • 2月15日、寺岡呼人主催のイベント「Golden Circle vol.2」にゲスト出演
  • 3月6日、シングル『Dreaming Girl』発売
  • 3月20日、アルバム『reverb』発売
  • 5月6日、New YorkのJoe's Pubにて「AKIKO'PIANO MONTHLY」第一回公演。ゲストに、Mino Cinelu (perc.)。
  • 6月3日、New YorkのJoe's Pubにて「AKIKO'PIANO MONTHLY」第二回公演。ゲストに、Will Lee (bass)。
  • 7月1日、New YorkのJoe's Pubにて「AKIKO'PIANO MONTHLY」第三回公演。ゲストに、Chris Minh Doky (bass)。
  • 7月27日、「FUJIROCK FESTIVAL '02」に忌野清志郎とのユニットとして参加。
  • 7月28日、大貫妙子、槇原敬之との共同イベント、「GTF MUSIC PARTY」出演。
  • 7月30日・31日「ヤノ・ラボ」開催。
  • 8月「矢野顕子リサイタル」5ヶ所で開催。
  • 8月「出前コンサート」2ヶ所で開催。
  • 8月10日「Mt. Fuji Jazz Festival 2002」出演。
  • 8月17日 「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に忌野清志郎とのユニットとして参加。。
  • 9月、LondonのThe PizzaExpress Jazz Clubにて、5日間7公演の弾き語り公演開催。
  • さとがえる2002」コンサート

2003年
  • 1月20日、New YorkのJoe's Pubにて「AKIKO'PIANO MONTHLY 2003」第一回公演。
  • 2月17日、New YorkのJoe's Pubにて「AKIKO'PIANO MONTHLY 2003」第二回公演。ゲストに、Cliff Almond (drums)。なお、もう一人予定されていたAnthony Jacksonは豪雪のため欠席
  • 3月17日、New YorkのJoe's Pubにて「AKIKO'PIANO MONTHLY 2003」第三回公演。ゲストに、Janis Siegel(Manhattan Transfer)
  • 6月1日、FM802のアニバーサリーイベント「Jive the Keys」に出演。
  • 8月2日、9日、万博公園もみじ川芝生広場とよみうりランドオープンシアターEASTで、「情熱大陸 SPECIAL LIVE」に出演。
  • 8月、「出前コンサート」3ヶ所で開催。
  • 8月10日、新潟市青山海岸特設ステージで「2003 日本海夕日コンサート」に出演。
  • 8月17日〜23日、Blue Note Tokyoにて矢野顕子グループ公演。
  • 8月26日、福岡サンパレスにて「love crescendo vol.1」に出演。
  • 10月1日、CD『ピヤノアキコ。〜 the best of solo piano songs 〜』、DVD『ライブ・ピヤノアキコ。』発売。
  • 10月から、J-WAVE「DoCoMo Moonlight Compass」で、ナビゲーターを務める。
  • 12月、主題歌を担当した映画「あたしンち」公開。同名シングル発売
  • さとがえる2003」コンサート

2004年

『ひとつだけ/the very best of矢野顕子』初回付録の"Twenty Years Chronological Table"を大いに参考にさせていただきました。

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