IN/OUT (2023.7.9) |
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Twitterの混乱と、その対抗としてMetaが始めたThreadsが、一般のニュースでも報じられています。Twitterはもっぱら観るだけの私も、興味本位でThreadsを試してみました。が、自分がフォローしている人の投稿だけを見るTwitterと違い、「お勧め」される投稿が次々と流れてくるThreadsには胸焼けが…。殆どが、見たくも無い内容ばかり。こんな投稿が世の中標準なのかしらん? 最近のIN「サムライのおしゃれ 印籠・刀装具・風俗画 」@静嘉堂文庫美術館 (23.7.8)刀装具や印籠根付など、侍の装身具=サムライのおしゃれを中心とした近世日本の工芸品の展覧会を観に、静嘉堂文庫美術館に行ってきた。 静嘉堂文庫は、三菱の岩﨑彌之助・岩﨑小彌太の父子二代によって創設・拡充された、国宝7件、重要文化財84件を含む、20万冊の古典籍と6,500件の東洋古美術品を収蔵している文庫(専門図書館)である。文庫自体は世田谷区岡本にあるのだが、その収蔵品を一般公開するための展示ギャラリーが、丸の内の明治生命館1階に開設されている。1934年に建設された国の重要文化財 明治生命館は、2004年竣工の明治安田生命本社ビルのアトリウムに丸々取り込まれており、この建物自体も素晴らしい。 今回の展覧会で特に充実しているのが、印籠の展示だ。様々な大名家が愛用した40個以上の印籠が並ぶ。元々は、携帯用常備薬入れだったものが、江戸中期以降、実用性は薄れ、装飾性の高い工芸品となったということだ。薬を入れるという機能のために密閉性を高めた精巧な細工と、表面に施された蒔絵細工も美しいが、面白いのは根付(帯に引っかけて印籠をぶら下げるためのパーツ)。「犬に毬」、「鏡餅に鼠」、「蓮葉に蛙」、「狼に野ざらし」などなど、何故、それをデザインする? という変テコな物多し。 また、刀の鍔に意匠が凝らされていることも、今回、初めて知った。戦国の世が終わり、武器のパーツとしての役割は後退し、刀を差した人を正面から見たときに目に入るということから、凝った物が増えたらしい。根付と同様、このような小さな部分にデザイン性を求めるとは、まさに、おしゃれアイテムだ。とは言え、「慕」「募」「暮」「蟇」「墓」「幕」の形の似た6文字を透かし彫りにした鍔など、意表を突きすぎという気もするが。 また、この展覧会の目玉の一つが、2021年に静嘉堂で発見されたサーベルだ。1868年3月、英国公使 Sir Harry Parkesが攘夷派の男二人に襲撃された「パークス襲撃事件」で、護衛として公使を護った土佐藩士 後藤象二郎に、Victoria女王から進呈されたもの。後藤象二郎は、岩﨑彌之助の義父にあたる。 刀身には「PRESENTED TO GOTO SHOJIRO IN MEMORY OF THE 23rd OF MARCH 1868」と彫り込まれている。 そして、静嘉堂文庫の有名収蔵品、国宝《曜変天目(稲葉天目)》も出品されている。ニュースで観たことはあるが、実物は(銘品や名所に有りがちだが)想像していたよりも小さいが、なるほど、碗の内側の玄妙な色彩は見事だと思う。 今回初めて訪れたギャラリーだが、展示品に添えられた解説文が的確だし、オーディオガイドのクオリティも高く、良い美術館だと思う。そして、何よりも、展示空間の居心地が良い。また、再訪したいスペースだ。 ”Indiana Jones and the Dial of Destiny” (23.7.8)Indiana Jonesシリーズの最新作を観てきた。 今回、George LucasとSteven Spielbergは製作に回り、 監督は、"Ford v Ferrari"や”Logan”などのJames Mangold。主演のHarrison Fordは、既に80歳。期待よりも不安が先走る新作だが、果たして アバンタイトルで1944年のナチスを相手にした活劇シーンがあるが、本編の舞台は1969年。大学を定年退職する歳になったIndiana Jonesは、「アンティキティラのダイヤル」を巡る冒険に巻き込まれる。このダイヤルは、「アンティキティラ島の機械」という名前でウキペディアに詳細な説明が載っているが、古代ギリシア時代の、天体運行を計算するために作られた歯車式機械だ。もちろん、映画の中では、もっと超常的なパワーを秘めている設定になっている。 Indiana Jonesシリーズのお馴染み要素、トラップだらけの遺跡、毒蟲だらけの洞窟、軽量級の乗り物での追いかけっこなどはタップリと仕込まれており、Harrison Fordの老いをあまり感じさせないようになっている。やはり、ハリウッド娯楽作は、この辺り、隙が無いなぁと思う。能天気活劇としての出来は、とても良い。 ただ、ヒロインと少年に魅力が無く、好きになれないところが痛い。ヒロインの行動原理にはイライラさせられるし、少年には”Temple of Doom"のShort Roundのような愛嬌が皆無で、単なるスリだ。 ということで、シリーズ最高傑作と言うにはほど遠いが、水準以上の作品かなと思って観ていたのだが、ラストで、1作目のあのシーンのオマージュが出てきたところで、不覚にも泣けてしまった。あざといけど、巧みだなぁ。 「あいだ に あるもの ー1970年代の資生堂雑誌広告からー」@資生堂ギャラリー (23.7.8)資生堂が時代ごとに創造してきたクリエイティブワークの一端を紹介する企画展シリーズの1回目を観に、資生堂ギャラリーに行ってきた。 今回、フォーカスするのは1970年代。資生堂の「シフォネット」「ナチュラルグロウ」、「MG5」、「ブラバス」、「モア」などのブランドの雑誌広告、約150点。 特に、女性用化粧品の「シフォネット」「ナチュラルグロウ」のヴィジュアルが、超絶ハイセンスでカッコ良し。これだけ凝った構図の広告写真って、中々見かけないと思う。ただし、そこに付けられたコピーは、狭義の「女性」のイメージに囚われすぎていて、2023年の今では、ジェンダー問題絡みで色々物議を醸しそうではある。が、それはそれとして、ヴィジュアルに負けず尖りまくったコピーが並ぶ。「シフォネット美人がころんでも美しさは変わらない。」、「愛されすぎる美女はブルースを聞きなさい。」などなど。凄いなぁ。一方、男性向けの「ブラバス」の肩の力の抜けた感じの広告は、写真もコピーも、今でも十二分に通用しそうなセンスの良さだと思う。 会場の奥では、大澤悠大・H.Takahashi・原田康による、展示されている広告写真を使った映像とアンビエント音楽のインスタレーションが流されている。このスペースもまた、押しつけがましくないセンスの良さで居心地良し。 自社の昔の広告だから当たり前かもしれないが、このセンスの塊のような展示を、無料で楽しむことが出来る、良い展覧会だった。 SNSに流れている投稿が世の中の多数派の意見とは限らないという事は大前提として留意するとして、自分がフォローしている人の投稿だけが流れるタイムラインを見るのは、さらに、世の中の極一部の意見(それも、自分にとって心地よい)だけに囲まれる事になるわけで、SNSが社会の分断を加速する怖さに改めて思い至ったりする今日この頃です。 |