IN/OUT (2017.10.15)

一週間前倒しで、衆議院選挙の期日前投票に行ってきました。三極一人ずつ(諸派も少々)という分かりやすい構図ということもあってか、雨降りでも、結構な数の人が投票に来ていました。


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"Dishoom"17.10.8

ヒューマントラストシネマ渋谷現在、ヒューマントラストシネマ渋谷にて絶賛開催中、インディアン・フィルム・フェスティバルの上映作品の一つを観てきた。邦題は「ディシューム~J&K~」。なお、5月に開催された「南インド映画祭」が、文字通り南インドで作られた映画の祭典だったのに対し、今回は、いわゆるボリウッド映画、ヒンディー語の作品が中心である。個人的には、垢抜けない南インド映画の方が好みなのだが、やはり、王道インド映画と言えば、ボリウッドだろう。

さて、この作品。舞台は、湾岸諸国の某所。クリケットの国際大会が開催されている最中、インドのスター選手が誘拐される。宿敵 パキスタンとの決勝戦まで36時間。なんとしても彼を奪還するため、インド外務省は、インド特殊部隊の腕利きを招集し、現地警察と協力させることにする。やってきたインドの腕利きは、ルール無視のハードボイルド・マッチョマン。現地警察のお人好しの新人刑事とコンビを組んで捜査を開始。そこに、美人泥棒も絡んできて…というお話。

タフガイとお調子者の刑事コンビが暴走し、頭の固い警察上層部が顔をしかめ、さらに美人泥棒が華を添えるという、ある意味、万国共通の鉄板展開。テンポも良く、お気楽バディ・ムービーとして良く出来ていると思う。

ただし、そこはボリウッド、例によって、ご都合主義に溢れ、細かい整合性は気にしない。やたらと色々な要素をぶち込んでくるゴッタ煮感覚と、素敵なダンス・シーンも満載。音楽のレベルは高く、かなり中毒性のある、耳にこびりつくテーマ曲がナイスだ。

今時、これだけベタな展開のバディ・ムービーをハリウッドで作ったら、鼻で笑われそうな気もするが、この分かり易さこそ、娯楽の王道。ポップコーン片手に気軽に楽しむ映画として、インド映画初心者にも、安心して勧めることが出来る。と思ったのだが、冷静に考えると、普通の感覚の日本人には、やはり、このご都合主義は目に余るのかもしれないな…


「田原桂一『光合成』with 田中泯」@原美術館17.10.14

原美術館写真家 田原桂一が、舞踏家 田中泯を被写体にした写真展を観に、原美術館に行ってきた。

二人は、1978年から80年にかけて、「光と身体の関係性」を探求するフォトセッションを行っていたそうだが、その時点では発表されることは無く、2016年になって写真集「Photosynthesis 1978-1980」を刊行するとともに、フォトセッションも再開。このたび、国内初の展覧会形式での公開となったそうだ。しかし、田原桂一氏は、この展覧会の準備の最中、今年の6月に、病気のため65歳で永眠されている。

作品は、すべてモノクロ。荒々しいまでの粒状感で写し出されているのは、田中泯のクローズアップ。最近では、TVドラマにも出演し、味のある老人役で親しまれている彼だが、1970年代には、全身の毛を全て剃り落とし、ほぼ全裸で「ハイパーダンス」を踊るという前衛的なパフォーマンスを行っていた。そのパフォーマンス時と同じスタイルの肉体を、一部だけクローズアップで切り取った写真には、人間性は希薄だ。何か、特殊な生物というか有機体のように見える。

モノクロ写真で、被写体が(美形モデルやボディ・ビルダー的筋肉美とは違う)前衛ダンサーということで、かなり、地味な展覧会ではあるが、独特の存在感が原美術館の空間を濃密に埋め尽くしている。


「向井山朋子 ピアノコンサート カント・オスティナート『人生を変えてしまうメロディー』」@原美術館17.10.14

美術展の後は、原美術館内のホールで、向井山朋子のピアノ・コンサートを鑑賞した。

美術館自体は、17時で閉館だが、コンサート・チケットを持っている人は、その後も館内で鑑賞し続けることが可能。17時20分から、ウェルカム・ドリンクのスパークリング・ワインが振る舞われ、17時30分、開場。18時開演。

登場した向井山朋子は、白髪交じりの短髪、黒のレザーのノースリーブ・ジャケットというパンキッシュなスタイル。一礼後、そのまま演奏に突入する。演奏曲は、オランダの作曲家 Simeon ten Holt(シメオン・テン・ホルト、1923-2012)の代表作「Canto Ostinato(カント・オスティナート)」。106の連続するセクションで構成されたミニマル音楽である。複数のピアノで演奏されることが多いが、使用する楽器の種類、台数、106のセクションのどこを際立たせるか、各セクションをどれだけ繰り返し先に進むかなど、全て演奏者に委ねられている。そのため、30分で演奏が終わる場合もあれば、4人のピアニストが5時間連続演奏したこともあるそうだ。現在、オランダを拠点に、単なるピアノ演奏に止まらず、舞台芸術やインスタレーション作品を発表するなどの活動を続けている向井山朋子は、この曲を何度も取り上げているが、これまでは複数台のピアノを用いることが多かった。今回は、ソロでの演奏である。

いわゆる現代音楽っぽいミニマルな旋律の繰り返しをベースに、様々な変化で色づけされる演奏は、通常のクラシックとは違うし、ポップスやジャズのような、取っつきやすいフレーズも無い。しかし、頭でっかちの現代音楽のような難解さは感じられない。ミニマルな繰り返しの中に、時折、驚くほど、情動的な表現が加わったりして、いくらでも聴いていられるという感じ。この分野に詳しい訳では無い素人としては、Philip Glassの音楽に、もっと、エモーショナルな要素を加えたという印象だ。

使われたピアノが、河合楽器製作所のフルコンサートピアノのフラッグシップ "SK-EX"というのも、普段、聴く機会があまりないもので、興味深かった。スタインウェイやヤマハとは違う、独特の艶のある音色(特に高音部の音色は、他社器とは、全然違う響きで驚いた)で、今日の演奏には、とても合っていると感じる(と同時に、聴く機会が多いスタインウェイでこの曲が演奏されると、どのような印象になるのか、一度、聴いてみたい)。

彼女の指使いが良く見える席を確保できたのだが、ここからだと、ピアノの上の楽譜も良く見える。あちこちに付箋が貼られていて、全て演奏者に委ねられているというのが実感される。約70分続いた演奏は、いきなりのカット・アウトで終了。それまで、流れ続けていた音が、ふっと消え去ったような終わり方が、また、カッコ良かった。

向井山朋子にしても、Simeon ten Holtにしても、以前から知っていたわけでは無く、原美術館でイベントがあるということで、付け焼き刃で予習して臨んだコンサートだったが、予想以上の衝撃を受ける、素晴らしい演奏だった。



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"Akira"17.10.9

インディアン・フィルム・フェスティバルの上映作品を、もう一つを観てきた。タイトルは主人公の名前。女性である。

幼い頃から正義感が強く、父に格闘技を教えてもらった少女 Akira。しかし、彼女は、その正義感から、町で女性に絡む不良に立ち向かったばかりに、相手に怪我をさせ、少年院で3年を過ごす羽目に陥ってしまう。出所後、真面目に勉学に向かおうとする彼女だったが、様々な試練に見舞われ、さらに、悪徳警察官が起こした事件に巻き込まれてしまい、窮地に追い込まれていく、というストーリー。

予想もしない展開が続く中、次から次へと主人公に降りかかる試練が、とにかく不条理、かつ、苛酷。さらに、その背景にあるインド社会が、我々の理解を超えている。不良が硫酸の入った瓶を持ち歩いていたり(女性の顔に硫酸を浴びせる事件が多発しているとは聞いているが…)、悪徳警官が普通にのさばっていたり、あるいは、何かと民衆の暴動が頻発したり…。もちろん、全てがインド社会の実態では無く、映画的誇張が含まれているのだろうが、その度合いが私には判断できない。

最悪なのは、精神病院の描写だ。今の日本や欧米の映画で、こんな描き方をしたら、一発アウト、大炎上間違いない。もしかしたらインドの精神医療って、いまだにこんな事をやっているのかも… と思えてしまうが、これこそ、映画的誇張だと信じたい。

そして、結末もまた、私の想像を超えた着地点。重たい社会派と言えるのかもしれないが、これで、インドの皆さんは拍手を送れるのだろうか?それとも、インドでも、皆さん、納得できない気分で映画館を後にするのだろうか? いずれにしても、ずっしりと重く、これはこれで記憶に残ってしまう映画なのは間違いない。

不条理な試練に耐え、要所要所で格闘の技を炸裂させるAkiraを演じたのは、Sonakshi Sinha嬢。"Dabangg"(ダバング 大胆不敵のヒロインだった彼女(ちょっと、ふっくらしたかな)が、今作では、自ら、切れのあるアクションを見せつけるてくれる。が、その切れ味が鋭いだけに、このような重い作品では無く、明朗快活映画で、その勇姿を観たかった。



毎回、選挙の度に思うのですが、投票所での本人確認は特に無しで、良いんですかねぇ?