IN/OUT (2017.10.8)

カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞に、周囲でもざわついている人が多い、今日この頃です。(昨年のDylanは別にして)知る人ぞ知る、というタイプの作家が対象という印象のノーベル文学賞を、ベストセラーを連発する作家が受賞したということで、既読者も多かったということでしょう。

私にとっても、その著作の大部分を読了している数少ない作家の一人が、カズオ・イシグロ氏です(まあ、彼は寡作なので、長編7作、短編集1冊ですが…)。好きな作家は色々いても、偏執狂のごとく、未読作を見つける端から潰していき、ほぼ、全作読み切ったのは、彼以外だと、中島らも、村上春樹、アガサ・クリスティ、P. D. ジェイムズ、ロス・マクドナルド、J. G. バラードぐらいでしょうか。それだけに、氏の受賞は、なんとも嬉しい。あと、これで脚光を浴びている出版社が「早川書房」ってところが、(多分、私が一番、お世話になっている=お金を貢いでいる、出版社)大いに嬉しい。


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PKD酒場201717.10.7

PKD酒場2017 ということで、神田の早川書房本社で開催中の、PKD酒場2017に行ってきた。PKD = Philip K. Dickである。間もなく公開される"Blade Runner 2049"に因んだもので、早川書房本社一階にある、普段は「カフェ・クリスティ」として営業している喫茶店でのイベントだ(クリスティ・ファンとして、今まで未訪問だったことは不覚)。

PKD酒場2017本社一階ということで、営業時間は、平日が17:00~22:00(ラストオーダー21時)、土曜日は11:00~16:00(ラストオーダー15時)、日曜・祝日はお休み。私は、土曜の昼下がりに出かけてきた。Dickファンだけでなく、イシグロ氏受賞のご祝儀客で賑わっているかと思いきや、先客は一人だけで、やや拍子抜け。因みに、店の入り口には「神田カレーグランプリ」ののぼりが立っていたり、正面ウィンドウは、Dickよりもイシグロ推しという感じで、コンセプトもブレている?まあ、こういうカオス状態も、ブレードランナー的かもしれない…

接客してくれるのは、レプリカント風女性、ということはなく、極めて普通のおじさん店員。店内は、いかにも軽食メインの喫茶店風だが、壁には、各国版のブレードランナーのポスターが貼ってある。そして、短冊に書かれたメニューが居酒屋感を出しているのだが、メニュー名は、「デッカ丼」「名物うどんヌードル」「屋台おやじの水餃子」「アンドロイドは羊の野菜炒めを食うか?」などの料理、カクテルは「デッカード」「レイチェル」「流れよ我が涙、と警官は言った」、ノンアルコールドリンクの「クリームにしてくれ、と警官は言った」「ユービックラテ」などなど。まあ、正直、学園祭のノリである。

私は、デッカ丼カレー風味を注文。料理を待つ間の時間潰しに、「フォークト=カンプフ・ペーパーテスト」(機械を使わずに、人間とレプリカントを判別できるテスト)と、折り紙(ユニコーンとチキンの折り方説明付き)という、ブレードランナー好きには分かるお楽しみが配られる。そして、待つことしばし、「デッカ丼カレー風味」がサーブされる。エビとイカの天ぷらがご飯の上に乗っているのだが、天ぷらの衣にイカスミが入っていて、真っ黒。何とも不気味な見た目という趣向。味の方は、可も無く不可も無くという感じ。

PKD酒場と銘打っている割には、マニア色は意外なほど薄いという印象だ(私の感想はそうだが、世の中平均の人から見たら、このメニューだけでもマニアっぽいと思われるのかもしれない…)。また、原作小説よりも、映画版ブレードランナー色が強いのも、やや不満ではある。が、もっとコアなSF者が集う入りづらい場所を想像していたのとは大違いで、気軽に入れるのは良いところだ。いずれにせよ、早川書房には、ノーベル賞効果と、映画公開効果で、さらに頑張っていただきたい。


「怖い絵展」@上野の森美術館17.10.7

上野の森美術館上野の森美術館で開催中の展覧会を観てきた。ドイツ文学者、中野京子氏が2007年に発表し、大きな反響を呼んだ著作「怖い絵」を元にした企画である。入場待ちの行列が50分。入場した後も大混雑で絵に近づくのも困難という賑わいだ。

絵画鑑賞では、色彩や構図から受ける印象=自分の感性が大切だという一般美術教育に対し、「作品の背景を知ってこそ奥深い鑑賞ができる」という中野氏の異議申し立てには、私も大いに賛成する。予備知識で感動が薄れるようなら、その作品自体に力が無いということであって、真に優れた芸術作品は、予備知識の有無なんか凌駕するパワーを備えていると思うし、予備知識からその作品の真価を読み解こうと考えを巡らせることこそが、美術鑑賞の醍醐味の一つだと、私は考えている。

ということで、この展覧会は、絵、そのものが怖いのでは無く、背景を知ることで、その絵の「怖さ」を体感できるという切り口での展示となっている。ただ、本来の作品タイトルの他に、キャッチコピー風の煽情的な言葉が掲示されているのは軽薄な感じがするし、展示品の多くを占める、聖書や神話を題材にしたヨーロッパ絵画は、あまり私の好きな分野ではない。それでも、セザンヌが描いた殺人の風景(彼が、こんな題材を取り上げていたことは、初めて知った)、切り裂きジャックの正体とも噂されている(ミステリ作家 Patricia Cornwellが、筆跡鑑定やDNA鑑定などの調査を自ら大金を投じて行い、出した結論)Walter Sickertの「切り裂きジャックの寝室」、Henry Fuseliの「夢魔」などは、本当に怖いと感じる。

そして、最大の見所が、日本初公開となる Paul Delarocheの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」だ。2.5メートル×3メートルの大作で、1928年のテムズ川の氾濫で失われたと考えられていたのが、1973年の調査で再発見され、ロンドン・ナショナル・ギャラリーで展示されるようになったという、数奇な運命を持つ作品。描かれているのは、政争に巻き込まれ、女王にまつりあげられるも、わずか9日間で廃位され、7ヶ月後に16歳の若さで斬首刑になった Lady Jane Greyの処刑直前の様子だ。斬頭台(彼女が処刑された1544年はギロチンが発明される前で、斬頭台の上で処刑人が斧を振るうという凄惨な処刑方法だったのだ)、その下に敷かれた血を吸わせるための藁、処刑人が持つ斧といった禍々しい小道具と、目隠しされたJane Grey。恐怖と美しさは紙一重だと実感すると同時に、この絵を見つめることに背徳感も覚えてしまう。もう、この大作の前に立つだけで、入場前の大行列も入場後の大混雑も、全て元は取れた、と思える。

あと、吉田羊さんの音声ガイドも、聞き取りやすく分かりやすい内容で、非常に好印象だった。


"Score: A Film Music Documentary"17.10.7

映画音楽を題材にしたドキュメンタリー映画を観てきた。邦題は 「すばらしき映画音楽たち」。

登場するのは、Hans Zimmer、Danny Elfman、John Williams、Quincy Jones、Junkie XLなどなど、約40名の映画音楽家。ハリウッドの主要作曲家を全て網羅したような錚々たるメンバーだ。また、オリジナルの映画シーンもふんだんに引用されていて、この映画を製作するのは、権利関係をクリアするだけでも大変だっただろうなと思う。

無声映画に劇場でオルガン奏者が伴奏を付けていた時代から現代まで、映画音楽の世界を俯瞰し、映画音楽製作の様々な場面が映し出され、映画好き・音楽好きには興味深い映像が次々と出てくる。製作現場での意見交換で、作曲家は、音楽による感情表現が分からない監督にとってセラピストの役割を果たすという指摘には、なるほどと思ったり、Hans Zimmerが、The Bugglesの"Video Killed the Radio Star"のミュージックビデオの中で演奏しているなどのトリビアも沢山。

Randy Newman、Trevor Rabin(YES)、Trent Reznor & Atticus Ross(Nine Inch Nails)らも登場するが、彼らが、ソロ活動やバンド活動から、最近ではサウンド・トラック製作に軸足を移してきたことに、私は、否定的な見方をしていた。ハリウッドの商業主義に流されてしまったように感じていたのだ。しかし、このフィルムを見ると、サウンド・トラック製作はそんな単純な物ではないし、音楽的な喜びの追求に違いは無いということも良く分かった。

しかし、何よりも印象的だったのは、Steven SpielbergとJohn Williamsコンビの最強ぶりだ。我々の世代には、彼らの作品から受けた、驚愕、恐怖、歓喜、感動といった感情が、映像と音楽が不可分の記憶として染みついていることを、改めて実感した。



ただ、いくら名前が日本人、生まれが長崎と言っても、彼は、紛れもない英国人だと思います。どうも、日本出身の(あるいは、日本文化をバックボーンに持つ)作家がノーベル賞受賞という切り口で語りたがるマスコミには辟易する今日この頃でもあります。