バッテリーが駄目になってきたのを騙し騙し使ってきたけど、ついに先週、動作しなくなってしまったTV=パナソニックのポータブルビエラ 10型。速攻、ヨドバシで発注したのは、一世代新しくなっているけど、同じく10型のポータブルビエラ。随分前に大画面の液晶テレビが壊れた時に、とりあえずの「つなぎ」のつもりで購入した10型テレビですが、家中、どこにでも持ち運べる便利さで、結局、使い続けています。
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Pat Methenyのソロ・ツアー 東京公演を観に、すみだトリフォニーホールに行ってきた。
彼のライヴは、昨年、ブルーノート東京で観ている。その時のタイトルは”PAT METHENY Dream Box Solo Tour”。ツアータイトルに、昨年リリースされた新アルバム「MoonDial」が付け加えられたが、恐らく、同様のフォーマットでのライヴだと思われる。
開演前、ステージ上には、例によって、黒い布で覆われた物体が何個か置かれている。これは、「あいつ」も出演するな、とニヤニヤしてしまう。
開演。私の座席は、ポジションとしては悪くないのだが、2列前、私の視線をドンピシャで遮る位置に巨漢が…。彼の座高のため、Patの姿も、ギターを弾く手も、全く見えない…。これは辛い。
前半は、様々なアコースティック・ギターを取り替えながらの演奏。曲の合間に、彼にしては珍しく、自らの音楽人生を振り返るような話をたっぷり喋る。このツアーが、一つの集大成と位置付けているのだろうか。お馴染み、「ピカソ・ギター」(カナダのギター職人 Linda Manzerが、Patのために製作した、4つのネック、2つのサウンド・ホール、42本の弦を持つ、異形のギター)や、新作「MoonDial」で使われた「ナイロン弦バリトン・ギター」(6本の弦が、2本ずつ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに相当するんだ、みたいな事を語っていた)も駆使。うーん、手元どころか、ギターも、巨漢氏のおかげでほとんど見えないのが悔しい。
バリトン・ギターの低音をループさせておいて、エレキ・ギターに持ち替える。ここから、後半はエレキ・ギターの演奏。やはり、私は、エレキ・サウンドの方が好みだ。観客の拍手も、一段、大きくなったような気がする。曲の冒頭で弾いたフレーズをループさせ、そこにメロディーを乗せていくタイプの演奏が続く。聴き応え有り。
一連の演奏が一区切り付いた感じのところで、大拍手。そして、ついにステージ上に置かれた物体に掛けられた黒い布が外される。様々なパーカッションを圧縮空気を使って自動演奏するマシーン「オーケストリオン」の登場である。中身はハイテクで制御されているはずだが、カラクリっぽい雰囲気。おもちゃ箱をひっくり返したようなマシーンに囲まれ、あちこちに仕込んでおいたギターを取っ替え引っ替え弾きまくるPat。スチーム・パンクに登場するマッド・サイエンティストのようだ。ここまでの、ストイックなパフォーマンスから一転、楽しさMaxである。これで、本編終了。
当然のスタンディング・オヴェイションに応えてのアンコールでも、オーケストリオンとの共演。ループを効果的に使ったエレキ・ギターも冴え渡る。
が、ライヴはこれでは終わらない。鳴り止まぬスタンディング・オヴェイションに応え、ダブル・アンコール! アコースティック・ギターでの演奏。そして、さらにさらに、トリプル・アンコール!! 公演の内容・構成は、昨年のブルーノート東京と同じだったが、1時間30分ほどのクラブ公演に対し、今回は2時間20分。たっぷりと堪能し、大満足だ。
終演後は、多くの観客がステージ前に寄ってきて、オーケストリオンと、Patが弾き倒したギターの撮影大会。
5月16日~20日に予定されていた中国公演を「予定外の医療処置」のためキャンセルしたという情報があっただけに心配もしたのだが、サービス精神もたっぷりに、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれて、感謝である。
2021年2月から大規模改修のため長期休館し、今年の2月に再オープンした横浜美術館の、リニューアルオープン記念の展覧会を観に行ってきた(昨年3月に、横浜トリエンナーレに合わせて、一部、再開館したことはあったらしい)。
展示は8章立て。
まずは、第1章「みなとが、ひらく前」。横浜で出土した土器や埴輪が展示されている。思わず、そこからかい!とツッコんでしまう…
第2章「みなとを、ひらけ」では、Peter Bernhard Wilhelm HEINEの「ペルリ提督横浜上陸の図」など、1859年に開港した横浜の様子を描いた絵が並ぶ。
この後、第4章「こわれた、みなと」で関東大震災、第5章「また、こわれたみなと」で戦争、第6章「あぶない、みなと」で、戦後の占領期。厳しい時代の横浜で活動した画家達が紹介される。暗い歴史も隠さない、清濁併せ呑む展示だが、直視するのがキツい写真作品なども多数。
第7章「美術館が、ひらく」で、1989年の横浜美術館開館の頃に収蔵された作品群が紹介される。Pablo PICASSO、Paul CÉZANNE、Francis BACON、横尾忠則などの名品揃い。
第8章「いよいよ、みなとがひらく」は、子供たち(と、大人の心の中にいる子供)に向けた、未来へのメッセージ。René MAGRITTE、Max ERNST、Maria FARRARらの作品の中、やはり私の目は奈良美智の作品に惹きつけられる。名作「春少女」の他、「横浜の子どもたちへ」と題された奈良美智らしいメッセージも。
ということで、実に「横浜」らしい展覧会だった。
が、それだけでなく、「コレクション展」の方に展示されている新収蔵品、淺井裕介の「八百万の森へ」もまた、横浜ならでは。ボランティアによって集められた横浜市内の土によって描かれている。
丹下健三による、重厚な石造りの外観と広々とした吹き抜けのエントランス。今回の改修で強調されたピンクを多用した内装。強烈な存在感を主張する美術館だと思うが、しっかりと横浜という土地に根ざした方針が貫かれていると感じられるところが、好印象だ。
Demi Mooreの怪演が話題になっている映画を観てきた。
彼女が演じるのは、今では、テレビのエアロビクス番組ぐらいしか仕事が無い、かつてのスター俳優。50歳を機に、その番組すら解雇された彼女は、怪しげな薬”Substance”に手を出し、若く美しい分身を生み出す。その分身は、別人としてスターへの道を駆け上がるのだが、やがて、オリジナルのDemi Mooreを邪魔者扱いし、暴走し始める。という奇想のお話。
物語自体は、行き過ぎた若さと美への執着が、破滅をもたらすという古典的な枠組みだ。ただ、その描き方が極めてグロい。特に終盤は、Brian De Palmaのあの作品や、John Carpenterのあの作品を過激に引用したような、カオスな展開。あまりにもやり過ぎていて、ホラー映画の範疇を突き抜け、限りなくコメディーに近寄っているようだ。一方で、極端なクローズアップを多用する画作りは、生理的な不安感・嫌悪感を掻き立てる。
煽情的なエクスプロイテーション映画のような作りだが、同時に、強烈な作家性を感じさせるところが、一筋縄では行かない。Coralie Fargeat監督は、Demi Mooreが囚われる美と若への執着は、社会が女性に押しつけている圧力の結果だということを、この怪作に込めているのだろう。登場する男性達が、ことごとく醜悪で滑稽な、戯画化されたような言動を取るのは、リアルな描写というより、主人公、ひいては世の中の多くの女性の目には、こう見えているのだという、皮肉な告発のようだ。観る側のリテラシーを問うような作品作りは、極めて戦略的だと思うが、ちょっと私にはついていくのが厳しいかな…
Demi Mooreは、確かに熱演。彼女だけで無く、若い分身役のMargaret Qualleyも、俗物の極みのようなTVプロデューサー役のDennis Quaidも、皆、まさに身体を張った演技を披露している。が、同時に、よくもこんな役を引き受けたなという気もする。役者も大変だ…
MCU(Marvel Cinematic Universe)の映像と、オーケストラによる演奏を組み合わせた公演を観に、東京国際フォーラムに行ってきた。2024年8月に米国 Hollywood Bowlで初演され、今回、東京、福岡、大阪、神奈川、埼玉で日本公演が開催。オーケストラは、栗田博文が指揮する東京フィルハーモニー交響楽団。
開演の5分前、入場時に渡されたブレスレット・タグの電源を入れるようにアナウンスがあり、開演。
公演は、まずはMCUのオープニング・クレジットの生演奏。そして、2008年の第1作「Iron Man」から2019年の「Avengers: Endgame」まで全22作の「The Infinity Saga」のダイジェスト映像を上映し、オーケストラが音楽を付けるという趣向。
演奏が始まってしばらくすると、ブレスレット・タグが発光する!どうやら、会場中を無線制御しているようだ。それも、単純なオン・オフだけでなく、色や点滅のタイミングなどを緻密にコントロールしている。
第1部は、各キャラクターの紹介のような感じで編集されていて、Thanosが登場するところまで。20分間の休憩を挟んだ第2部で、ThanosとAvengersの戦いが展開する。この第2部になると、ブレスレット・タグが、画面に登場する”Infinity Stones”の6つの色に対応して光るようになって、とても効果的だ。
オーケストラの演奏は、映像とのシンクロが完璧で、実に見事なものだった。ただ、あまりにもピッタリなので、これなら、映画のサウンド・トラックをそのまま再生しても同じではないか?という気がしてしまう。ライヴ演奏ならではの、何か引っ掛かりのようなものが欲しかったというのは、贅沢か?
ということで、よく練られた構成と、質の高い演奏のイベントだった。が、若干の物足りなさも有り。
10型よりも大型の画面で見たければ、27インチのPC用モニターで配信を観るという手もあるし、電気代も助かっているので、このままで問題ないというのが冷静な判断だと認識しつつ、たまに、大型画面の没入感が自宅で味わえるのも良いかなぁという気もしてきたのが悩みどころの今日この頃です。 |