IN/OUT (2017.9.17) |
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台風接近。幸い、この辺りは大きな影響はありませんでしたが、地域によっては、今年、何度も豪雨に襲われている所も有るわけで、科学技術の進歩も、まだまだ、天災の不公平の前には無力です。世界中、平均して雨が降ったり、地面がちょっとずつだけ揺れれば、良いのになと愚考する今日この頃です。 最近のIN"Dunkirk" (17.9.16)Christopher Nolan監督の新作を観てきた。第二次大戦中、ドイツ軍のフランス侵攻で、フランスの港町 Dunkirkに追い詰められた40万人近い英仏軍を救うべく決行された、民間人も動員した撤退作戦を描く、史実に基づいた映画である。 鑑賞後の印象は、スクリーンを見終わったというものではない。なんだか、とんでもない体験に巻き込まれたような感覚。これまでも、強烈な印象を残す映画を撮ってきたNolan監督だが、またしても、かつてない映像作品を作り出したと驚嘆。それほど、圧倒的な映像(と音響)だ。 この作品は、通常の「戦争映画」とは全く違う。ドラマチックで過剰なストーリーは存在しないし、説明的な台詞も皆無。登場する兵士達の背景(ありがちな、祖国に残してきた恋人やら、家族との絆とか)も全く描かれない。それどころか、戦闘シーンも極めて少ない。そもそも、映画の中に「ドイツ軍」という言葉すら、ほとんど出てこない。映画内で用いられるのは"The enemy"という単語だ。 その代わり、映画を牽引するのは、リアリスティックな映像そのものの力だ。CGをほとんど使わないNolan監督は、この映画でも、実物に拘った撮影を徹底したらしい。数少ない戦闘シーンであるスピットファイアとメッサーシュミットの空中戦も、同時代の航空機の機体を改造して、実際に空を飛ばして再現したということだ。そして、その映像を通して浮かび上がるのは、兵士達の生き抜くための(綺麗事では無い)意志であり、作戦に協力する民間人の愛国的な熱い意志である。 海岸線、海、そして空中の三つの空間での出来事を複数の視点で描く群像劇なのだが、Nolan監督の手腕が冴えているのは、この三つの空間の時間軸が異なること。海岸線では追い詰められた兵士の一週間を描き、海上の場面は救出作戦に参加した民間船の一日を、そして空中のパイロットの視点では一時間を描く。それら、三つの空間と時間軸が巧みに交錯し収束していく様は実にスリリング。この時空のコントロールは、Nolan監督の天才的、いや、悪魔的と表現したくなる手腕だ。 これは、是非、大スクリーンで観るべき作品だ。ただし、英国では、誰もが知っている史実らしいが、日本ではあまり馴染みの無い出来事なので、鑑賞前には、ある程度、予習してからの方が良いかもしれない(隣の席の初老の夫婦、見終わるや否や、奥様の方が「結局、『ダンケルク』って何語?」と大声で夫に訊いていた…)。 "Alien: Covenant" (17.9.16)Ridley Scott監督の新作を観てきた。いわゆる「エイリアンシリーズ」。2012年の作品"Prometheus"の続編にあたり、1979年の"Alien"以前の時代を描いたもので、まさに、Ridley Scottのライフ・ワークとなっているシリーズだ。 1979年の第一作では、謎の生命体だったAlienも、James Cameronによる"Aliens"、さらに、(多くの人が、その存在を忘れようとしている)"Alien3"、"Alien: Resurrection"、あるいは"Alien vs. Predator"などで、すっかり、お馴染みのモンスターとなってしまった。そのため、この映画でも、Alienは姿を隠すこと無く、割に早い段階から、大暴れしている。その分、第一作で濃厚だった「ホラー要素」が薄れているのは、ちょっと残念。また、宇宙船の造形が、新しい知見に基づいた「リアル」な感じになっていることも、ホラー感が減った一因だろう。第一作のノストロモ号の意味不明の造形は、それだけで不気味な感じを増幅させていた… あと、未知の惑星に、ろくな調査もせずに、防護服や酸素マスクも無しで、いきなり降り立つという乱暴な展開は相変わらずだ。まあ、Ridley Scottは、SF的な背景が好きなだけで、"Science"自体には興味が無いのだろう。強い女性が好きというのも、いつも通り。ただ、それらRidely Scott的要素が、今も強烈な魅力を発しているのは事実だ。御年 79歳だが、まだまだ攻めた映画作りを続けていると思う。 "Prometheus"が、いささか風呂敷を拡げすぎた感じで、消化不良感が残ったのだが、今回は、シンプルで分かりやすいストーリーだ。"Alien"好きとしては、かなり満足度の高い作品だった。ただ、思っていた以上に、"Prometheus"の直接の続編になっているので、鑑賞前に前作を見直しておいた方が良かったかな。 「氣志團万博2017 ~房総与太郎爆音マシマシ、ロックンロールチョモランマ~」@千葉県・袖ケ浦海浜公園 (17.9.17)氣志團が主催するフェスに参戦してきた。この時期、毎年恒例のイベントだが、正直、氣志團やその周辺のミュージシャンは私の守備範囲では無く、これまでは関心が無かった。しかし、今年は、なんと、山下達郎が出演するという。ならばと、二日間開催の内、達郎御大が出演する二日目のチケットをゲット。ゲットしたのは良いが、今度は、当日に合わせたかのように台風が接近。風雨が強ければ出かけるのは止めようと思っていたのだが、雨は小降りになってきた。御大の出演は18時45分からだ。 ということで、午前中からの参戦は早々に諦めたのだが、14時30分からの水曜日のカンパネラぐらいから観戦しようかと家を出たのだが、袖ケ浦は中々遠く、さらに駅からのシャトルバス、さらにさらにシャトルバス降車場から会場までの徒歩も時間がかかり、結局、到着したのは15時~15時40分の氣志團の演奏終盤となってしまった。 初めて訪れるフェスなので、とりあえず、会場内を軽く歩き回ってみる。万博と銘打っているだけに、飲食などのお楽しみコーナーも充実しているようなのだが、いかんせん、雨降りで、立ち寄る気にはあまりならない。ステージはメインとサブの二箇所あるが、両者の距離はそれなりに離れている。小雨ではあるが、雨の止む気配は一切無い。幸い、風は弱い。 ここまで把握して、まずは、16:15からのユニコーンをしっかり観戦。熱い演奏と脱力感ただようMCのバランスは、ベテラン・ロック・バンドの理想型だと感じる。そして、最後に演ってくれた「大迷惑」は、やはり大名曲だと実感。 続く、サブステージの若手バンド C&Kは、ちょっと聞いてみたが、あまり興味を引かれず。結局、早めにメインステージの方に戻り、岡村靖幸に備える。 岡村靖幸の音楽は、普段、積極的に私が聞くタイプではないが、ライヴだと良い感じで盛り上がれる。その独特のダンスや佇まいも含め、もはや「岡村ちゃん」というジャンルを確立しているなと感心。 次にサブステージで演るMIYAVIにもちょっと興味はあったのだが、そのまま、メインステージ側に残り、後方のちょうどフェンスに体重を掛けられる、個人的ベストの位置を確保し、山下達郎を待つ。 そして登場した達郎。一曲目が、近藤真彦に提供した「ハイティーン・ブギ」、二曲目に「SPARKLE」と、鉄板のオープニング。今日の天候を考慮し、セットリストを急遽変更。中盤にバラードを挟むことを止めたと宣言し、ここから一気に「BOMBER」、「硝子の少年」、「アトムの子」、「恋のブギ・ウギ・トレイン」のつるべ打ち。私が、極私的に偏愛している「BOMBER」を聴けたことが、本当に嬉しい。達郎のヴォーカルもサイド・ギターも絶好調だし、バックには、当然、佐橋佳幸や難波弘之の姿もある。職人肌のミュージシャンの印象が強い山下達郎だが、ライヴ・アーチストとしても凄いことを実感。私は、昔から彼の曲を聴いていた割には、ライヴに参戦したことがなく、唯一、ライヴで彼を観たのは、矢野顕子のジァンジァン公演に彼がシークレット・ゲストで出演した時だけだったのだ。その時は、あの狭い劇場のかぶりつき席で、彼の生声を超間近に聴き、その上手さに驚いたのだが、それ以来、ちゃんとライヴに行かなかったとは、不覚である。 そうそう、今回は、コーラス隊の中に、竹内まりやも参加という贅沢さだ。 最後は、「さよなら夏の日」で締め。私も、ここで撤収することにする。この後、岡崎体育と米米CLUBが控えているのだが、せっかくの達郎の余韻を消したくない(それに、帰り道が大混雑しそうだ)。短時間の参戦で、しかも、最後まで雨は止まず、ずっと合羽を着たままだったが、チケット代の元は十二分に取ったのである。 無力と言えば、雨の中、合羽を着た状態での、眼鏡です。細かい水滴が付いた状態で、ぬかるみの夜道を歩くのは、かなり怖かったです。 |