IN/OUT (2017.1.8)

三が日が明けて、即、通常操業モード。あまり休んだという実感も無いまま、2017年に突入。古き良き昭和の頃は、正月明けの最初の出勤日は、午前中に挨拶回りして、午後は早めに切り上げて皆でボーリング大会とかもあったのに…


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「SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女」16.12.22 & 17.1.6~8

1992年に公開された、矢野顕子のレコーディングに密着したドキュメンタリー・フィルムが、デジタル・リマスターにより高音質・高画質で蘇り、15日間限定で劇場公開されている。私は(もちろん、24年前にも、渋谷の映画館のレイトショーで鑑賞しているが)、昨年末のプレミア上映会、そして、年が明けてからの本公開にも3回、足を運んできた。原則、ミュージシャン・矢野顕子のパフォーマンスについては、やのコレの方に記載しているが、映画としての感想をこちらに記しておく。

撮影されたのは、1992年に発売されたアルバム「SUPER FOLK SONG」の録音風景。このアルバムは、全編、ピアノ弾き語りの一発録り。テープ編集一切無しという、極めてストイックな製作手法が取られている。本来なら、緊張感溢れる現場にカメラ班を入れるなどあり得ないのだが、坂西伊作監督の熱意で、このドキュメンタリー・フィルムが実現。坂西監督は、この作品のために、当時、既に富士フイルムが生産を中止していた16ミリのモノクロ・フィルムを、わざわざ米国コダックから取り寄せるなど、並々ならぬ情熱をかけていたそうだ。

仕上がった作品は、他に類を見ない、音楽ドキュメンタリーになっている。モノクロ作品と言うことで、色情報が無い上に、ナレーションも皆無。米国人マネージャーと矢野さんの英語での会話に対して字幕が付く以外、説明的な文字情報も無い。徹底的に余分な情報を削ぎ落とされたフィルムに記録されているのは、鬼気迫る厳しさで作品に取り組む矢野さんと、プロフェッショナル魂溢れるサポートを見せる録音スタッフやマネージャーの姿。生々しい物作りの現場の迫力に圧倒される。因みに、私が観た3回の上映では、それぞれ、上映の前もしくは後に、坂本美雨さん、砂原良徳さん&ユザーンさん、三浦光紀さんのトークがあったのだが、共通して話題に上ったのが、矢野さんの現場での厳しさと、スタッフにとって重要なのは弁当の手配及びそれを出すタイミングだ、ということだったのが面白い。

ただし、あまりにも情報を削ぎ落とした結果、予備知識無しに観る人には、最初、画面の中で何が行われているか分からない、不親切な映画でもある。恐らく、観ているうちに、「これは、アルバムのレコーディング風景である」、「編集無しの一発録りに拘っている」、「途中で失敗したら、最初から演り直すことを、矢野が納得いくまで、ひたすら繰り返している」ということは、徐々に分かってくるとは思うが、どうなんだろう? また、鈴木慶一氏や糸井重里氏らのインタビューも挿入されているが、画面に、彼らの名前すら表示されない。ある程度の有名人はともかく、彼女のデビューを後押しした伝説的プロデューサー、三浦光紀氏など、知らない人の方が多いのではないだろうか。これも、語っている内容が全てで、名前や肩書きの情報は不要という判断なのだろう。24年前もレイトショーでの公開だったし、今回も、15日間の限定公開。やはり、不特定多数を対象にした商業映画として公開するのは厳しいと思われる。

ただ、説明的なことを無理に追っかけようとせず、画面と音に集中すれば、このフィルムの凄さは、矢野顕子の事を知らない人にも十分に伝わると思う。むしろ、説明的な物を捨てたことで、時代を超えた普遍性を獲得したとさえ思える。そして、ドキュメンタリーでありながら、ラストには映画的な高揚感を得られる坂西監督の編集と構成力が光る。このフィルムの他にも、日本のPV界に大きな足跡を残しながら、2009年に51歳の若さで亡くなられたことは、残念でならない。なお、今回のリマスターでは、一箇所、カットされたシーンがあるようだ。監督が亡くなった後に、このような手は加えるべきでは無いと思うのが、残念なところだ。


「新宿中村屋 食と芸術のものがたり」@中村屋サロン美術館17.1.7

新宿の、新宿中村屋ビル 3階にある中村屋サロン美術館に行ってきた。今回の展覧会は、創業 115周年を記念した企画展である。

中村屋について詳しい訳じゃなく、レトルト・カレー、中華まん、羊羹、月餅など、節操ない品揃えの食品メーカーという印象しか持っていなかったのだが、その先入観は、この展覧会を観て一変した。

まず、創業者は相馬愛蔵・黒光夫妻。「中村」さんでは無いということ自体、初耳だった。二人が居抜きで買い取ったパン屋の屋号「中村屋」をそのまま使ったということだ。さらに驚いたのは、相馬夫妻が、1915年頃、インドの独立運動家 ラス・ビハリ・ボースを匿っていたということだ。ボースは、3ヶ月半、中村屋で過ごした後、17回も転居しながら英国政府からの逃亡生活を続けたのだが、その間も夫妻はサポートを続け、連絡係を務めた相馬夫妻の娘とボースは恋に落ち、結婚(しかし、娘さんは逃亡生活の疲れからか、26歳の若さで病死)。1927年、中村屋にレストランを開設する際、ボースが提案したのが、本格的なインドカレーだったのだ。その発売日、6月12日を中村屋は「恋と革命のインドカリーの日」と称している。また、やはり相馬夫妻が面倒を見たのが、ウクライナから来日した盲目の詩人 ワシリー・エロシェンコ。そして、彼が中村屋のメニューにもたらしたのが、ボルシチだという。この食品会社、扱っている商品、一つ一つに、ドラマが有り過ぎだ。

とにかく、創業者 相馬愛蔵・黒光夫妻のキャラクターが素晴らしく、結果として、明治末から昭和初期にかけて、中村屋に多くの芸術家・文化人が集ったという。今回の展覧会では、その中心人物だった、中村彝の油彩画(ボースと結婚した、娘の俊子がモデルを務めている)や、荻原守衛(碌山)のブロンズ像、會津八一の書、などが飾られているほか、棟方志功がデザインした羊羹の掛け紙や、布施信太郎による包装紙の原画などが並ぶ。

正直、飾られている作品自体は、それほど心を動かされるタイプのものではなかったのだが、中村屋が歩んできた社歴に驚かされた。そして、小規模なスペースに「中村屋愛」が詰まっているこの美術館自体(新宿に、こんなスペースがあることは、つい最近知ったばかりだ)、とても好印象だった。



夜、山手線で隣に座った若い女性。これから、お仕事なのか、待ち合わせなのか、いきなり、本格的な道具を持ち出して、気合いの入った化粧を開始。まあ、電車内で堂々とメークすることは、珍しくは無くなりましたが、彼女の場合、仕上げに、香水をシュッシュッまでのフルコース。おかげで、私まで良い香りを身に纏う羽目に…。これは、さすがによろしくないよなぁ…