IN/OUT (2016.7.3) |
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今の家に住み始めて、丸11年経過。いよいよ、あちこちにガタが来始めているものの、予算のことも頭痛いし、それ以上に、この暑さで動くのが億劫になります。 最近のIN"The Last Reel" (16.7.2)カンボジア映画史上初の女性監督による作品を観てきた。邦題は「シアター・プノンペン」 主人公は、プノンペンで暮らす女子大生。不良グループで粋がっている彼氏と夜遊びばかりしている、生意気な女性だ。ある夜、かつての映画館で偶然目にしたのは、館主が密かに上映している古い映画。そこに映っていた主演女優は、母親の若いときの姿だった… 女性監督、Kulikar Sothoは、これが初監督作。ハリウッドで映画製作に関わっていた経験があるということだが、その演出手腕は、お世辞にも優れているとは言えない。展開がモタモタしていて、色々な事が整理されていない感じ。また、出演している俳優陣の演技も、あまり魅力が無い。テクニック的には稚拙と言わざるをえない映画だ。 さらに、冒頭のシーンで描かれる主人公の女性と彼女のボーイフレンドが、あまりにもチンピラ的で、感情移入出来ないのが、辛い。後半、彼女らは人間的成長を遂げていくのだが、第一印象が悪すぎである。 それなのに、映画に込められたメッセージは、特に終盤、物凄い勢いで迫ってくる。内戦と、それに続く、あまりにも非人道的なクメール・ルージュによる支配(国民の1/4が死に追いやられたとも言われている)。その記憶をトラウマとして抱える親世代と、経済回復を果たしつつあるプノンペンで刹那的に生きることしか知らない若い世代のギャップ。こうした、カンボジア独特の、あまりにも重い現実が背景にあるのだが、それと同時に、「真実」とは必ずしも単純な物では無く複雑な多面性を持っているという、どの国にも共通するテーマも描かれているところが、この作品の持つ意味合いを、重層的なものにしている。 私が、カンボジアを訪れたのは、今から14年前。映画に映し出されているプノンペンの町並みは、その時からは発展しているようだが、近隣のタイやベトナムに比べると、まだまだ貧しく、治安も悪いようだ。他の東南アジア諸国に比べ、発展のペースが遅いことの背景には、、クメール・ルージュが、いわゆる知的階級の人々(その中には、映画監督や俳優も含まれている)を徹底的に弾圧・虐殺してしまったことによる「人材難」という負の遺産が、あまりにも大きいのだろう。 重く真摯なテーマの作品だけで無く、娯楽作として質の高い映画が製作されるように、早くなると良いのに、とも思う。一度でも訪れた事がある国には、それなりの親近感を抱くものだが、どうも、カンボジアについては、色々と複雑なことを考えてしまう。 住居だけ無く、自分自身の心技体も老朽化しつつあるのかも、とも惑う、今日この頃です。 |