IN/OUT (2002.2.17)

ということで、Chinese New Yearの休日終了。今年の場合、日本との関係で、休日の前後は随分とバタバタしてしまいました。毎年日付が変わってしまう旧暦の祝日というのは、困ったものです。

もっとも、この時期、多くの中華系の人からは、
「日本もこの時期正月なんだろ?」
と訊かれました。彼らにしたら、(中国文化の影響を強く受けている)日本がなぜ新暦で正月を祝うのか不思議に思うようです。


in最近のIN

Cambodia Tour (02.2.8 - 12)

2月8日 Singapore出発

午前中で仕事を切り上げ、空港へ。Silk AirにてPhnom Penhへ向かう。機内には、白人、それもバックパッカーではなく、良家の子女風健全若者が多いのが、意外である。

2時間でPhnom Penh到着。イミグレーションの前に、ここでVISAを取得。VISAの発給も入国審査も、全く効率的とは言えない作業風景だ。設備らしい設備が何も無い殺風景な空港を抜け、ホテル出迎えの車で市内へ。雨が少ない時期というのもあるのだろうが、埃っぽいというのが町の第一印象。舗装状態のあまり良くない道路には、バイクが溢れている。それも、二人乗り、三人乗り、四人乗りが当たり前。

夕方6時頃、ホテル到着。そのまま夕食。ウェイターが笑顔なのに感激。シンガポールではお目にかかれない愛想良さである。

2月9日 Phnom Penh

10時、まずはKilling Fieldsへ。ポル・ポト政権時代、後述するS-21刑務所に収容された人がここに運ばれ処刑された。あちこちに死体を掘り起こした穴がある。その幹に、子供や赤ん坊を叩きつけて殺した大木も残っている。発見された8,985の遺骨を納めた慰霊塔が建っている。

続いて、Tuol Sleng Museumへ。ここがS-21刑務所跡地。元々は中学・高校の建物だったが、ポル・ポト政権時代、「反革命分子」を収容し、拷問を伴う尋問、そして処刑が行われていた場所だ。今では、その行為を伝える博物館になっている。学校時代の名残を見せる鉄棒の横に、処刑者を吊した柵が残る中庭。元校舎だった建物の内部には、当時のままの尋問室や独房。さらに、大量の収容者の写真や拷問用具などが展示されている。

歴史上数ある大量殺戮のほとんどは、国家間の戦争、人種間の対立、民族・部族間の抗争、宗教間の相克などによるものだが、クメール・ルージュによる虐殺は、そうした「異質な者との争い」とは違う。ポル・ポト政権下の3年余りの期間に、国民の5人に1人に当たる150万人以上が犠牲になったという。同国人が殺し合い、隣人同士が密告しあったのは、ほんの25年程前の事だ。今でも、当時収容されていた側の人と、虐待していた側の人が町で顔を合わせることがあるそうだ。国民全体が抱え込んだトラウマは我々には計り知れない重さだろう。もっとも、その辺の事情が書かれた本を集中的に読んだりしたのは旅行後で、その場を歩いているときは、あまりの重苦しさに「理解できない」という以上の思考が出来ない状態だった。

気を取り直し、マーケットを覗き、小洒落たイタリア飯屋で昼食。

続いて、National Museumへ。仏教やヒンズー教の彫像が展示の主体だが、保存状態が良くない物が多い上、展示方法にメリハリが無いという印象。

さらに、王宮とSilver Pagodaへ。黄金色の扇風機のトホホぶりを確認したり、ForeignerとLocal Guestで下駄箱が分かれているというような枝葉を楽しんだりしたが、あまり大した事は無し。展示されている個々の物品には、目を引くものが散見されるものの、やはり展示方法が貧弱。この、プレゼンテーションの下手さとか、押しの弱さ、というのは、カンボジアの国民性なのかもしれない(Killing FieldsやTuol Slengでは、その洗練されていない見せ方が、かえって生々しさを増していたようにも思う)。

夕食は、Raffles系列のホテル、Le Royalにて。フランス料理風にアレンジされた東南アジアメニューという感じ。美味しゅうございました。

2月10日 Siem Reap

7時半、空港に向かい、Siem Reap Airways Internationalのプロペラ機にて、Siem Reapへ。正味30分ほどのフライト。ホテルのドライバーの出迎えを受け、Pansea Angkorへ。できてから半年程度と新しい、全52室のこぢんまりしたホテルだが、木材を多用した客室の作りやプールサイドの雰囲気など、町中にありながらリゾート感強し。スタッフの応対も気持ちが良い。惜しむらくは、部屋を安いRiver Viewにしたこと。通りに面していて、いまいち落ち着かない。次回チャンスがあれば、Pool Viewを選ぼう、と心に決める。

一休みの後、ドライバーの案内でAngkor Watへ。想像以上に巨大。壁面、柱、天井、全てに偏執狂の所行のごとく、レリーフが隙間無く施されているのに圧倒される。今では、周囲を舗装道路が走り、食べ物屋や土産物屋が並んでいるが、これが密林の中にひっそりと眠っていた様は、さぞや壮観だったことだろう。

巨木の根に侵食されるTa Prohmにて。白人観光客と地元のお子さま近くの食堂で炒飯を食べた後、Angkor Thomと周囲の遺跡へ。Angkor Thomは、城壁に囲まれた12世紀頃の都市の跡で、その内部にいくつもの寺院等の遺跡が残っている。

  • 微笑みを浮かべた観世音菩薩像が印象的なBayon
  • フランスによる修復中のBaphuon
  • 象の彫刻が並ぶTerrace of Elephants
  • 迷路のような通路にレリーフが並ぶTerrace of the Leper King
  • 荒涼としたThommanon
  • 建設途中で破棄されたためか異質のデザインで、どこか未来感すら漂うTa Keo
  • 巨木の根が侵食し、廃墟一歩手前の趣が味わい深いTa Prohm

と遺跡めぐりの後、Phnom Bakhengに登って夕陽を見る。Angorの遺跡群は9世紀から12世紀にかけて建造されたものが大半だが、熱帯の荒々しい気候による風化、植物の侵食、内戦による被弾、クメール・ルージュによる意図的な破壊、と様々な要因により、荒廃が進んでいる。比較的保存状態が良く思えたAngor Watにしても、歴史的建造物度 65 / 廃墟度 35 という感じ。これが、Ta Prohmなどでは、歴史的建造物度 30 / 廃墟度 70。さらに荒廃した遺跡も多い。日本人観光客にはある程度廃墟度が高い所の方が人気があるそうだ。それを聞いて、私も日本人である旨、納得。

ホテルに戻り、メイン・ダイニングで夕食。リゾートホテルで洒落たフレンチという腹づもりだったが、そこには大声で会話する10人ほどの東洋人の団体が…。最初、あまりにも訛がきつくどこの国の人か分からなかったのだが、よく聞けば日本語で喋っていた。下着のU首白シャツに腹巻き、という格好で食事に来るのは止めていただきたい。オヤジ丸出しの高笑いも勘弁いただきたい。と、先ほど日本人である旨納得したことを、少し後悔。

2月11日 Siem Reap

朝食後、9時から遺跡巡りその2。Banteay Kdeiのレリーフ

  • Preah Khan。かなり荒廃が進んでいる感じ。韓国人や中国人団体が多い。
  • Preah Neak Pean。中央の池に水が有れば、大分感じが違ったと思うが。やはり廃墟。
  • Ta Som。ここも荒廃が進む。
  • Eastern Mebon。四隅の象の彫像が目印。
  • Pre Rup。石段がキツイが眺めは絶景。
  • Sras Srang。中国人団体の若者が受けを狙って泳いでいた。
  • Banteay Kdei。若い僧侶達の僧衣の派手な色彩と廃墟の雰囲気が鮮やかな対比。

いったん、ホテルに戻り、シャワーを浴び、近くの屋台で昼食。

2時半、40Kmほど離れたBanteay Sreiへ出発。道路沿いには高床式の農家。道を横切る牛や水牛多し。

Banteay Sreiは全体の保存状態は悪いものの、赤色砂岩に施された浮き彫りの状態がすばらしい。修復されず地面に転がったままになっている石の表面にも見事な浮き彫りの数々。実に精緻で、このためだけに遠出する価値十分。

最後、Prasat Kravanを見て、全行程終了。めぼしいところはほぼ案内できた、とドライバー氏も満足顔。5時過ぎ、ホテル帰着。

当地の観光地では、客引き以外にも子供に声をかけられることが多い。油断していると、勝手にガイドを始め、後からガイド料を要求してくる子もいるので要注意ではある。これが幼児になると、そういった駆け引き無し。直球勝負でお金や食べ物をねだってくる。また、女の子が若い白人女性に声をかけ、金銭抜きで英会話の練習をする姿も多く見られた。将来、観光業に就くことを目指しているのだろうか(観光地に住む子にとっては、貧困から脱出する一番分かりやすい道筋なのだろう)。

7時、またも、ホテルのダイニングにて夕食。今夜も別の日本人団体。その後、ホテル内のバーへ。スタッフの応対が本当に気持ちよい。ただし、一人で泊まっている部屋でも、ベッド・メイキングの後、ベッドの上に赤い薔薇を一輪残していくのは、やりすぎかも。

2月12日 Singapore帰着

Siem Reapのマーケット朝食後、Siem Reapの町へ。マーケット辺りをうろうろ。埃っぽい小さい町だ。その後、チェックアウトし、空港へ向かったが、ドライバーが昨日までと違う。初日、チップを渡そうとしたときに
「それは最後で構わない」
と言われたので、最終日、空港で渡そうかと思っていたのに。そう言えば昨日、
「明日は朝11時にチェックアウトするから」
と頼んだ時、ドライバーの様子が何か落ち着かなげだった。はっきり、明日はドライバーが代わると言えばその時点でチップを渡したのに…。クメール人、押しが弱い。

30分遅れで離陸したプロペラ機は、2時前にPhnom Penh着。市内で昼食。「New Paris Restaurant」と名前は大層だが、一泊$10の格安ホテル内のレストランである。ビーフサラダとスープのカンボジア料理。レモングラスを使うところなどタイ料理に近いものがあるが、それほど辛くなく、メリハリに欠けた感じ。料理も押しが弱い、と言うべきか。

ちょいと友人と旧交を温めた後、6時発のSilk Airにてシンガポールへ。遺跡からの持ち出しを防ぐためか、荷物チェックがやたらと厳しい。機内は、旅慣れていない人達が多いようで、座席の間違いを認めない人や、友達と一緒に座りたいから席を代わってくれという人達などで一悶着。

Changi空港到着後、空港内でサンドイッチとビール。店員の愛想の悪さに、帰星したことを実感した。


ついにChangi空港にMRTが乗り入れました。新しい駅だけに、SFチックなデザインになっています。改札はTerminal 2に直結。Terminal 1には、さらにSky Train(構内の交通システム)を使う必要があります。

残念なのは、新路線ではなく既存の路線からの支線で、各駅停車しか無いこと。市の中心までは30分ほどかかります。また、空港駅以外は、大荷物を持った人の事が考慮されているとは言えない設計なので、結局、タクシーを利用する方が便利な場合が多そうです。