IN/OUT (2014.6.1) |
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暑い。梅雨を飛ばしていきなり夏が来たような暑さです。もしかしたら、温度はこのままで、梅雨時の湿気が加わる時期が、まもなく来るのかしらん? 最近のIN"SIMON PHILLIPS "Protocol II" featuring Andy Timmons, Steve Weingart, Ernest Tibbs" (14.5.30)Simon Phillipsのソロ・プロジェクト公演を観に、ブルーノート東京へ行ってきた。先日のTOTOの来日公演直前でTOTOを脱退してしまったので、その時は彼のプレイを見逃した訳だが、彼の場合、巨大商業ロック・バンドで叩いても、ジャズ・フュージョン寄りのバンドで小規模なハコで演奏しても、同じようにカッコ良いのが凄いところ。今回は、1989年リリースのソロ・アルバム"Protocol"から25年周年を記念して制作された新作"Protocol II"のレコーディング・メンバーを引き連れての公演である。 場内に入ると、ブルーノートの狭いステージに置かれた巨大なドラム・セットに圧倒される。このステージにおけるドラムスとしては最大数なんじゃないか。もちろん、これが見かけ倒しなんかじゃ無く、演奏が始まるや、Simonは、全数使って叩きまくるのである。緩急自在。圧倒的な手数・足数。ハイハットさばきの華麗さ。観て楽しく、聞いて興奮のドラム・プレイだ。 演奏される曲自体は、王道のフュージョンという感じ。ベース、ギター、キーボードの三人も、皆、上手い。この三人のプレイだけを観ていると、一般的な実力派フュージョン・バンドの演奏のように見える。しかし、ここにSimon Phillipsの過剰なまでのドラム・プレイが乗っかると、異次元のサウンドに変わるのだ。 一曲ずつが長く、たっぷりと四人のプレイを堪能。どの曲も凄かったのだが、さらに刮目したのが、アンコール。Jeff Beckの名盤"There and Back"収録の"Space Boogie"。このアルバムに参加したSimon PhillipsとTony Hymasが書いた曲だ。このドラムスのキレとスピード感。圧巻である。 なお、Simonは、この秋、上原ひろみ・ザ・トリオ・プロジェクトとしての来日も決定。行かねば。 「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」 (14.5.31)森美術館で開催中の展覧会に行ってきた。「子どもの視点を通して世界を展望しようとする試み」というのがお題である。 どうなんだろう。美術展としては、社会派の視点が勝っていて、個人的にはイマイチ感もあった。特に、ジャン・オーの、米国人に養子にもらわれた中国人少女を撮った写真には、不快感すら覚える。 そんな中、普段はあまり興味を引かれないヴィデオ作品に、印象的な物がいくつかあった。まず、作品の内容自体に惹きつけられたのが、Teresa HubbardとAlexander Birchlerによる"Eight"。子供特有の、大人からは不条理にしか思えない心の動きが、無限ループの映像に巧みに映し出されていると思う。 さらに、作品自体と言うより展示の仕方が印象的だったのが、(作者名を忘れたしまった…)壁のスクリーンと、部屋の真ん中に吊したスクリーンの二つを使った展示。観る角度によって、二つのスクリーンの重なり方が変わり、見え方が違ってくるのが、とても効果的で印象的。 やはり、こういう工夫を凝らした見せ方に対応できるのが、森美術館の醍醐味だな。 "X-Men: Days of Future Past" (14.5.31)X-Menシリーズの最新作を観てきた。邦題は「X-MEN:フューチャー&パスト」。微妙に原題のニュアンスからズレているような気がする。 "Avengers"を筆頭に、アメコミ映画のシリーズ化というか、大河ドラマ化が、今やハリウッドの一大潮流となっている。また、最近では、Spider-Manのように、シリーズが一段落したら、過去の作品は無かったことにして、仕切り直しした新シリーズを立ち上げる=リブートする作品も増えている。そんな中、老舗とも言えるX-Menに関しては、シリーズ構成がやや迷走気味という感じもあった。そこで、2000年公開のX-Men第一作の監督Bryan Singerを再び迎えて、出演者はそのままに、一旦物語をリセットしようとしたのが、この作品、ということなのだろう。 リセットするために使った超荒技が、主人公を過去に飛ばして、歴史を改編してしまうという大胆な物。過去に飛ばす方法が、過去の自分の肉体に意識だけを飛ばす、というところが新機軸。ただし、ウルヴァリンの場合、50年前の肉体と言っても、容姿は大して変わらない(まだ、骨格にアダマンチウムは注入されていないが)。むしろ、50年前のプロフェッサーXが、ヒッピー崩れの風体でやさぐれているのが面白いところ。 アメコミの場合、平行世界という便利な概念で、タイム・パラドックスなんか全く無視するのが常套手段みたいだが、ここまで堂々とやられてしまうと、天晴れ、と言わざるを得ない。というか、言わせてしまう演出力が、さすがBryan Singer監督。エンド・クレジットの最後に、抜け目なく次回作につながるシーンを入れて、この仕切り直し作戦、成功だと思う。 近所の道端にやたらとドクダミが目立つ今日この頃です。今の子供も、こいつのことを便所草って呼ぶのかなぁ? |