一週間、日本に滞在しました。
日本で食事をすると、食べ物の味には、美味しい/不味い、の他に、馴染んだ/違和感がある、という基準があると感じます。米国で食べる物は、どんなに美味しくても、どこか味付けや香りに「違和感」を感じますが、日本で食べる物は、少々不味くても、やはり「お馴染み感」があります。
前回も今回も、帰国翌日の昼食は「吉野家の牛丼(並と卵)」。決して「美味しい」と思っている訳じゃ無いのですが、つい店を見つけると入ってしまうというのが「馴染んだ味」の底力でしょう。もうちょっと高級な物にお馴染み感を持ちたいところですが。
- 喋りすぎは嫌われるか
- 一週間の慌ただしい滞在だったが、本来重視すべき、仕事関係の人への挨拶もそこそこに、新旧、何人かの友人達と会うことができた。
昨年の11月末で、職場の日本人もほとんどいなくなり、さらに1月に入るとオフィス自体が無くなったため、気心の知れた人達との日本語での会話に飢えていたのだろう。毎日・毎晩、かなり饒舌になっていたようだ。気持ちの良い人達と会い、飲み、べらべらと喋り、自分としては、楽しい時を過ごすことができたと思っている。
しかし、会った人、会った人、皆が、私の語る言葉を「おやじギャグ」と評するのには参ってしまう。自分では、喋っている内容が変わったとは思っていないのだが。9ヶ月の間に本当におやじ化が進行したのだろうか? いや、この間に日本社会が変容してしまったに違いない。
- こんなとこにも後遺症が (99.1.27)
- 実家に久しぶりに立ち寄ったのだが、まさに、そのタイミングで手洗いの配管から水が噴き出すという事故が発生。
噴き上げる水の勢い・量は激しく、一瞬、天井の水道管(そんなものは存在しないのだが)が破裂したのかと勘違いするほどだった。床も天井も水浸し。水道の元コックを閉め、近所の電器屋に修理に来てもらい、どうにか修復した。水道屋は夜のため来てくれなかったのだが、トイレの洗浄機の取り付け工事をしてくれた電器屋はすぐに駆けつけてくれた。地域密着の個人電器店は大型量販店に押されているということだが、こういう事があると、是非、頑張っていただきたい、と思ってしまう。
修理してくれた人の話では、パッキンは痛んでいなかったが、普通では考えられないへこみがパイプについていたとのこと。恐らく、阪神・淡路大震災の時の振動が原因でついたへこみに4年間かかり続けた負荷が、ついに限界に達した、ということのようだ。近所の街並みに地震の爪痕はほとんど見かけられなくなっているが、まだまだ傷の癒えていない物も、人々も、実は沢山残っているのだ、と考えさせられた。
- 日本で諸々
- 会社で辞令を受け取る。また、実家に頼んで会社に送ってもらっておいた戸籍謄本や卒業証明を、証明付きで英訳してもらったVISA用書類一式と航空券も受け取る。挨拶回りをし、銀行の海外赴任者サービスの登録住所を変更。
日本でつい入ってしまう店にはもう一つ、「ドトールコーヒー」があります。ここのコーヒーは安くて美味しい。ただ、米国のコーヒーショップに慣れてしまうと、随分と量が少ないと感じてしまいます。
都内には「Starbucks」が、かなりの数、出店しているようなので、試しに入ってみました。店の雰囲気やコーヒーの味は、米国と同じ。ただ、カップの大きさは、米国より二周りぐらい小さい感じです。それでもドトールよりは、かなり大きいので、味より量を優先させたい時には良いかも。
カップの大きさを日本風に変えたのは良いとして、不満だったのは、チョコレイト・チップ・クッキー。サクサクした歯触りになってしまっていました。あれは、米国で出している、柔らかいタイプの方が絶対に美味しいと思うんだけど、日本人受けしないのかしらん。
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