IN/OUT (2021.5.23)

やのとあがつまのライヴに行ってきました。素晴らしいライヴ体験ができたことは有り難いのですが、東京文化会館の周辺にある動物園・美術館・博物館はことごとく休業。なのに、東京文化会館でのイベントは開催。このアンバランスを正当化する理屈って何だろう? とモヤモヤする今日この頃です。


in最近のIN

"Kin-dza-dza!"21.5.22

1986年、ソビエト連邦時代のジョージア(当時の呼び名はグルジア)で製作され、ソ連で記録的大ヒットとなったSFコメディ映画がリバイバル上映されているのを観てきた。邦題は「不思議惑星 キン・ザ・ザ」。日本でも、カルト作として好事家の間では有名な作品だが、私は初見だ。

技師の中年男とグルジア人の学生が、モスクワの街角で、自らのことを異星人だと言う裸足の男と出会い、その男が持っていたテレポート装置によって、キン・ザ・ザ星雲の惑星プリュクに飛ばされてしまう。何が起こったのか分からずにいる二人の目の前に、釣り鐘のような飛行物体が現れ…。果たして、二人は地球に帰れるのか、というお話。

プリュク星の住民は、見た目は小汚いし、「クー」と「キュー」の2語しか喋らない。しかし、それは意識を読める能力を持っているからで、主人公達とはすぐにロシア語でコミュニケーションが取れるようになる。地球のマッチがこの星では極めて高い価値を持っていて、マッチ棒を2本持っていれば黄色のステテコを、一箱持っていれば赤いステテコを履くことができるのだ! といった、適当な設定が、脱力系の笑いを誘うのだが、そこはソ連映画。ハリウッド娯楽作とは文法が違う。正直、かなり眠くなる展開である。さらに言えば、異星人と遭遇した際の態度など(相手の小汚さのせいか、露骨に見下した態度を取るのだ。彼らの惑星なのに…)、主人公が感情移入しづらい嫌な奴というのも困ったところだ。

主人公の態度は、当時のソ連人の気質を表しているのかもしれないし、そこまで深く考えていないのかもしれない。判別機によって、人を上級・下級に区別し、下級民は鼻に鈴を付けるというプリュク星の風習は、もしかしたら、当時のソ連社会を鋭く風刺しているような、そうでも無いような…。最後まで、つかみ所が無い。

が、ラストシーンは、中々機転が利いていて、感心した。オフビート感溢れる笑いは、なんだか癖になる。この辺りが、日本でカルト作として名声を得た理由だと思うが、万人に受け容れられるタイプとは思えない。この作品が普通に大ヒットしたソ連って、やはり変わった国だったのだろうか。


"Ku! Kin-dza-dza"21.5.22

「不思議惑星 キン・ザ・ザ」を、同じ監督が2013年にアニメ映画化した作品を観てきた。邦題は「クー!キン・ザ・ザ」。

ストーリーは、オリジナル実写作品とほぼ同じ。ただ、主人公が、技師の中年男性と若い男子大学生だった実写版から、世界的有名チェリストのおじさんとDJを目指す若い甥という二人組に変わっている。まあ、イマイチ感情移入しづらいところは似たようなものだが…

実写版は135分だったところを、92分に縮めたことで、テンポが大分良くなったと思う。一方で、アニメ化したことで、ちょっとカワイイ系のキャラクターが投入されたりしているのが、時代に合っていると言うのか、迎合してしまったと言うべきか…

見やすさという事では、アニメ版に軍配は上がるが、ラストの切れ味と中毒性という点では、実写版の方が良いかな。このような好事家向け上映プログラムが組まれるのが、コロナ禍の映画興行の面白さと前向きに受け止めたい。



都内の映画館は、単館系小規模なところは営業、大手シネコンは休業というパターン。しかし、ロビーで密になる状況は、小規模劇場の方が厳しいと思います。これもまた、謎の基準…。