IN/OUT (2015.6.21)

品川シーズンテラス近くに出来たビルの裏手に公園が整備され、職場に行く途中、ちょっとした散歩コースが出来ました。


in最近のIN

"Mad Max: Fury Road"15.6.20

Mad Maxシリーズ、27年ぶりの新作を観てきた。邦題は「マッドマックス 怒りのデスロード」。作品の雰囲気に合った、素晴らしい邦題だと思う。

監督は、シリーズの生みの親George Millerだが、前三部作で大スターになったMel Gibsonは不参加。Max役には、Tom Hardyが扮している。

舞台は、27年前の"Mad Max Beyond Thunderdome"の後。核戦争後の荒廃した世界を放浪するMaxが、暴君の支配する砦に囚われる所から物語が始まる。雰囲気としては"Mad Max 2"と"Thunderdome"の派手なところを足して、二倍にしたような映画だ(当然、核戦争前、まだ警察が機能していた時代を舞台にした第一作の面影は無い。あれはあれで、面白かったのだが)。ただし、Maxは、これまで以上に寡黙な男になっており、実質的な主人公は、頭を丸刈りにし美人要素を封印したCharlize Theronが演じる女性兵士と言って良いだろう。

砂漠を舞台に、CGには頼らず、スタントマンの力量で見せる暴走・バトル・炎上、間髪入れず、次の暴走・バトル・炎上、がひたすら繰り返されるだけの映画だが、それでストーリーを語りきってしまうところが潔い。中学生男子マインドを持つ者には必見作だ。


"The Congress"15.6.20

スタニスワフ・レムのSF小説「泰平ヨンの未来学会議」をベースにした映画を観てきた。邦題は「コングレス未来学会議」。

主演は、Robin Wright。"The Princess Bride"でブレイクし、"Forrest Gump"で大スターとなった彼女が、そのまま自分自身を演じている(彼女は、この作品のプロデューサーも務めている)。映画の前半は、俳優の姿や感情を丸ごとスキャンし、映画会社はそのデジタル・データー化されたキャラクターの使用権を行使する一方、生身の俳優自身は人前で演技することが出来なくなる、という契約を巡った物語が展開される。これは原作には無いストーリーだが、妙にリアリティがある。CGか生身の人間か、見分けがつかないまでにCG技術が発達した現在、監督やプロデューサーの意を受けて演技するという観点では、生身の俳優とCGキャラクターの違いはどこにあるのか?

障害を持った子供との生活を優先するため契約を結んだRobin Wrightは、表舞台から引退。20年後、彼女自身だったら絶対に引き受けなかった役柄、SFアクション映画のヒロインとして、「Robin Wright」が大ブレークしている。そんな中、彼女は契約更改のため、映画会社が所有するホテルへ向かう。このホテルのシーンから、映画はアニメで描かれる。化学薬品(chemical cocktail)を服用することで、人々はアニメ化された幻覚の中で生きているのだ。そして、Robinに提案された次の契約は、デジタルデータ化したCGキャラクターを映画に使うのでは無く、その存在自体をケミカル・カクテルにするというもの。もはや映画会社は映画を製作しない。ケミカル・カクテルを服用した人が「Robin Wright」そのものになれるのだ。

いかにもドラッグの影響下という感じのサイケデリックなアニメが展開し、幻覚の中に幻覚が現れ、何が現実なのか曖昧としてくる中、果たして脳内の幻覚と実際の外の世界、どちらがリアルなのか、という問題が突きつけられる。

レムの小説は、1971年の発表。まさに、LSDなどの影響を受けたサイケデリックの時代だ。それを21世紀に映画化するのにあたって、前半の、生身の人間のデジタル化という要素を付け加えたと思うのだが、残念ながら、後半との一体感が弱い。結局、見終わってみると、ケミカルカクテルの影響下で地獄巡りするRobin Wrightばかりが悪夢のように印象に残る。何とも奇妙で忘れ難い映画だ。

徹底したハリウッド批判でもある本作、ハリウッド資本の協力は得られず、イスラエル、ドイツ、ポーランド、ルクセンブルグ、ベルギー、フランスの合作で製作されている。その分、歯に衣着せぬ台詞が次々と出てくるのだが、Robin Wright、大胆な映画に参加したものだ。



この公園、下水処理場の上に作ったというところがミソ。土地の無い東京、さすがの知恵だと、シンガポールの友人に感心()されました。