IN/OUT (2014.12.14)

忘年会シーズン突入。飲み過ぎには注意せねば、と自戒する今日この頃です。


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"Interstellar"14.12.10

Christopher Nolan監督の新作を観てきた。重厚な大作にして、近年、まれに見る、ガチなSF映画に、大いに興奮させられた。Nolan作品らしく、重苦しいのにエキサイティングだ。

農耕植物が疫病で次々と駄目になり、いつ終わるとも分からない砂嵐に襲われるようになった近未来。滅亡に瀕した人類は、少しでも食糧を増産するため農業に集中。軍隊は無くなり、科学技術も顧みられなくなっている。この時代設定が巧い。これまでも、映画の中で様々なディストピア的な未来が描かれてきたが、この作品の閉塞感に満ちた世界の有り様は、圧倒的だ。

そんな世界の中で、科学技術に対する信頼を失っていない元宇宙飛行士の主人公がMatthew McConaughey。人智を越えた存在から届いたメッセージに導かれ、第二の地球を探すというミッションに駆り出される。

第二の地球を探す主人公が辿る物語は、「2001: A Space Odyssey」へのオマージュに溢れている。真空での絶対無音の描写はもちろんのこと、構図や光の効果など、画面設定のあちこちに「2001年」の雰囲気が感じられる。何より、別の銀河へ通じるワームホールが、土星の近くにあるという設定が泣かせる。「2001年」では、当初、スターゲイトが土星近くにあるという設定だったのが、当時の特撮技術で描かれた土星の輪にKubrickが納得せず、結局、木星近くに変更されたと聞いている。それを受けて、今作では土星近くに設定したに違いない。これこそ、NolanがKubrickに捧げた素晴らしいオマージュだと思う。また、どちらの作品も徹底的にリアリティに拘った描写が特徴だが、「2001年」に登場したHAL 9000が、どこまで論理的な人工知能だったのに対し、今作で主人公とパートナーを組むロボットは、ユーモア・レベルや正直レベルが可変パラメーターになっていて、人間と軽妙な会話が出来るというところが興味深い。「2001年」が製作された1968年からのコンピューターの進化を実感する。さらに言えば、このロボット、通常時の形態は、モノリスのような直方体なのも、狙っているのか。

次々と襲いかかる困難のため絶望的な状況に置かれながらも探索を続ける主人公と、地球に残された彼の愛娘。途方も無い距離で隔たれた二つの物語が並行して語られる。この映画が凄いのは、そうした家族愛と、ハードなSF描写を両立させてしまっているところだ。個人的には、親子の情愛が前面に出すぎる映画は苦手で、特に、SF映画には、そのような要素は雑音だと思っているのだが、この映画での親子の描き方には、やられた。主人公が娘を残して旅立つシーン、そして、二つの物語が一つに収斂するラスト近く。もう、涙腺緩みっぱなしである。

相対性理論や最新の宇宙物理学などの基礎知識(もちろん、そんなに高度なものでなく、日頃から、宇宙関連のニュースに興味を持っているとか、最近のハードSF小説に親しんでいるという程度)が無いと楽しめない、というか、とんでもなく話の内容を誤解する恐れがあるような気もするが、逆に、基礎知識を持って臨めば、大興奮間違いなしの映画である。Matthew McConaugheyの他にも、Anne Hathaway、Michael Caine、John Lithgow、Matt Damonなど、出演者も豪華。様々な伏線が見事に回収される終盤の展開も巧みで、169分という長さを感じさせない傑作だ。



形而上的二日酔い、時々、形而下的二日酔いが続くというのは、よろしく無いです。ホント。