IN/OUT (2004.2.1)

ということで、旧正月のバケイション終了。


in最近のIN

ナミビアを行く (04.01.18-04.01.26)

ナミビア共和国(Republic of Namibia)は、アフリカの南部、大西洋岸に位置する。かつてはドイツの植民地だったが、その後、南アフリカに統治され、独立したのは1990年。82万平方キロメートル(日本の2.2倍)の国土に、180万人の人が住んでいる。首都、Windhoek(ヴィントック、という発音が一般的なようだ)の人口は、約25万人。乾燥した砂漠地帯が多くを占めるため、非常に人口密度が低い。シンガポールと比べると、国土は1200倍、人口は半分以下ということになる。

主な産業は、ダイヤモンド等の鉱業、牧畜、漁業、そして観光産業。

民族構成では、Owambo族が半数を占め、他にもKavango、Hereroなど多数の部族があり、Himbaのような伝統的な生活様式を守っている人達もいる。映画「ブッシュマン」シリーズで主演したニカウさんもナミビアの人だ。白人は6%程度。各部族毎の言語があるが、独立に際して、英語が公用語に採用されている。これは産業、観光の振興に有利なようにということと、どの民族・部族にも公平に「不利」になるようにという政治的配慮によるものらしい。アフリカーンスとドイツ語も広く通用する。

世界で最も古く、最も美しいと言われているNamib砂漠と、野生動物を目指し、往復の航空券と、Windhoek発着の現地ツアーを二つアレンジした。


1月18日

  • 02:00、Singapore発 SQ406
  • 06:35、Johannesburg着 / 10:50、Johannesburg発 SA074
  • 12:55、Windhoek着。Pension Moni泊

シンガポールから南アまで10時間半のフライト。Jo'burgで南アフリカ航空に乗り継ぎ、さらに2時間。Windhoekに到着した。空港到着口で依頼しておいた出迎えを受け、市内へ向かう。空港は市街地から40Km離れており、車で30分ほどかかるのだが、途中には人家も農地らしきものもほとんどなく、なぜこんなに離れたところに作ったのか不思議である。14時頃、Windoekでの拠点、Hotel Pension Moniにチェックイン。"Hotel Pension"というのは、いわゆるB&Bタイプの宿を指すらしい。部屋数12だが、中庭には小さなプールがついている。

Christuskircheフロントで道を教えてもらい、さっそく町へ出てみる。目抜き通りのIndependence Avenueまで、徒歩15分ほど。とても綺麗な町並みに驚いた。日曜日のため、ほとんどの店が閉まっており、通りは閑散としている。ヨーロッパ風の立派な教会やきれいな公園もある。30度近くまで気温は上がったようだが、空気が乾燥していて快適だ。一休憩後、Grand Canyon Spurで夕食を取る。南アを中心にチェーン展開しているステーキ屋で、味もサービスもファミレス並み。19時半頃、宿に戻った。夕方の通りでは、やんちゃなおにいちゃん、おねえちゃんに声をかけられたりもするが、特に危険な感じはしない。暗くなる前なら、治安に関しては大きな問題はなさそうだ。


1月19日

  • 14:00、Windhoek発
  • Sesriemへ。Namib-Naukluft Lodge泊

この日から、ナミブ砂漠へ行くツアーに参加する。宿は10時にチェックアウトだが、ツアーの車がピックアップに来るのは14時なので、それまで市内を歩き回る。昨日は閉まっていた店も、今朝は開いていて、町には活気がある。ショッピング・モールは、清潔だし品揃えも豊富だ。少なくとも、市の中心部に関しては、まるっきり先進国並みのようだ。時間があるので、ガイドブック"lonely planet Namibia"に載っていたWalking Tourの道順に沿って歩いてみたが、予想以上にアップダウンが激しいコースだった。それほど見所が有るわけではないのだが、意地になって最後まで歩くと、すっかり脱水症状気味。Post St. MallにあるGourmetで、ビールとスパゲティの昼食。

14時、Moniに迎えにやってきたのは、昨日の空港出迎えと同じドライバー、インドンゴ君(Owambo族。ドイツ在住経験有りの25歳)。カナダから来た女性二人(お二方とも、年齢、私の1.6倍ではあったが)と同行となった。

町を出ると、緩やかな起伏が続く灌木の茂る平原となる。フェンスで囲われ、牧畜が行われているようだ。他の車を全く見かけないまま、2時間ほど。急な峠を越えると、乾燥した荒野が広がっている。こんな悪環境でも、山羊の放牧などが行われているらしい。

部屋の正面17時半、Namib Naukluft Lodgeに到着。部屋の前は、180度、ただただ荒野が広がっているだけだ。18時半から、ロッジが主催するサンセット・ドライブに参加した。カナダ人女性二人の他、ドイツから来ている親子連れと一緒になった。ロッジから40分ほどのMarble Mountainsで、雄大な景色の中、沈んでいく夕日を眺めながらビールを飲む。20時20分頃ロッジへ戻り、夕食。空には薄い雲がかかっているようで、あまり星は見えなかった。


1月20日

  • Sossusvlei
  • Namib-Naukluft Lodge泊

4時起床。4時半からコーヒーとシリアルで簡単な腹ごしらえを済ませ、5時、ロッジのガイドの運転でSossusvlei(ソーサスフライ)を目指す。まだ真っ暗な中、地平線近くには、針のように細い月が出ている。やがて、公園のゲートに到着。夜明け前に砂丘群を目指すには、この中に泊まっていなければならない。我々のように他の宿泊施設から来るものは、朝6時の開門を待つことになる。6時15分頃(門番が寝過ごしたようだ)、開門。いよいよ、ナミブ砂漠の奥へ入っていく。

砂丘道の両側に、赤い砂丘がちらほら見え始めた。光が当たる部分と陰になっている部分のコントラストが、とても美しい。Dune 45(入り口から45kmのところにある大砂丘)で、車を降り、しばし散策後、さらに奥へ進んでいく。途中、二輪駆動車用の駐車場があり、その先は四輪駆動車しか進めなくなっている。ここからは、悪路というか、砂場を走っているような状態で、揺れる。跳ねる。そして、8時前には、最奥地に到着した。

砂丘車を降り、砂丘に登ってみる。砂の表面には、風紋とは違う模様がついている。昆虫(ゴミムシダマシの一種らしい)の足跡だ。青くてきれいな虫だが、動きが速く、すぐに砂に潜ってしまう。さらに、ヤモリも発見。赤い砂の大地は、まるで違う惑星に来ているような風景だが、この生物の豊富さが、しっかりとここが地球であることを主張している。砂丘は延々と続いているが、体力の限界を感じ途中で引き返し、木陰で朝食を取る。ハエが居なければ快適なピクニックなのだが…

 Namib Naukluft Lodge朝食後、Sesriem峡谷に立ち寄る。ここもまた、荒涼感が異星っぽさを醸し出す風景だ。11時半頃ロッジに戻り、昼食。午後は、部屋の前に椅子を出して座ったり、プールサイドに行ったりしつつ、読書。こんな砂漠の真ん中に、小さいながらもプールを作ってしまうところが、凄い。徐々に変わっていく空の色をぼんやり眺める至福。夕食は、21時前から、屋外でバーベキュー。今夜は星が綺麗だ。


1月21日

  • Windhoek帰着。Pension Moni泊

朝食後、ロッジを後にする。雲一つ無い中、来たときとは違う峠を越えつつ、Windhoekへ戻る。11時、郊外の高級ホテルでカナダ人二人組と分かれ、Hotel Pension Moniに戻ったのが12時頃。町へ歩いていき、Post St. Mallのカフェで昼食。後は、Moniの中庭のプールサイドでのんびりし、夜は、比較的近くにあるイタリア料理屋Sardinia'sで夕食。


1月22日

  • Etosha National Park
  • Mokuti Lodge泊

今日からは、Etosha National Parkへ行くツアーに参加。9時前、ピックアップに来たのは、またもインドンゴ君。同行は、イタリア人女性一人。若いダーリア嬢の参加で、インドンゴ君の陽気さに拍車がかかる。

Windhoekの、かつてのカラードの居住区、そして黒人の居住区(アパルトヘイトが無くなった今、人種による住み分けは無くなっている建前だが、実際には経済的な問題で、これらの土地に縛り付けられている人が多い)を通り抜ける。町の中心、かつての白人専用区に比べると、かなり雰囲気は違う。さらに、その周囲には地方から職を求めて出てきた人達が暮らす掘っ建て小屋が並ぶ地域になる。しかし、人口の絶対数が少ないせいか、他のアフリカの都市周辺に見られるほど「スラム」の悲惨さ、物騒さが感じられない。隣国、ジンバブエのような白人排斥の動きもなく、インドンゴ君が「ナミビアはもうすぐアフリカで最も成功した国になる」と自信を持っているのも、分かるような気がする。

途中、Outjoという町のベーカリーで、昼食。Etosha国立公園のゲートをくぐったのが、14時半。ぼちぼちと、小型の草食動物が見え始める。

15時過ぎ、国立公園内にあるOkaukuejo Rest Campに到着。プールや売店なども完備された、大規模なキャンプだ。コテージに泊まる人のほか、テントを張っているキャラバン隊も多い。目玉は敷地内にあるWaterhole(水場)。ここに、動物たちが集まって来るらしい。因みに、Etosha国立公園全体の面積は2万2千平方キロ。シンガポールの32倍ぐらいの広大さである。

キリン横断中17時、ゲームドライブに出発。最初は、スプリングボックやシマウマでも大喜びしていたが、こういった草食動物は数が多く、すぐに見飽きてしまう。乾期だと、数少ない水場に動物が集まるので、そこに行けば、あるいは、キャンプ内の水場で待っているだけで、確実に沢山の動物が見られるらしいのだが、今は雨期。あちこちに水場が出来ている。そのため、動物はすっかり分散してしまっているようだ。しかも、雨期には草や灌木の葉が茂るので、見通しが悪くなり、いよいよ見つけるのが難しい。動物を見るには、良いシーズンではなかったようだ。キリンは沢山いたが、それ以外に大物と言えば、ゾウの姿をちらっと見たぐらいで、この日のゲームドライブは終了。

20時、キャンプ内で夕食。途中、地元の少年少女による歌と踊りが披露された。この日は、ナミビア政府の偉い人がこのキャンプを訪れていたため、いつもより余計に気合いの入った歌と踊りだったらしい。それにしても、子供とはいえ、彼らのリズム感、ジャンプ力などには目を見張る。

食事後、キャンプ内の水場に行ってみるが、案の定、動物はまったく来ていない。雨が降り始めたので、早々に引き上げ、プールサイドのバーでビールを飲む。訪れているのは、ドイツ人が圧倒的に多いようだ。


1月23日

  • Etosha National Park
  • Mokuti Lodge泊

シマウマの親子朝食後、キャンプを出発し、ゲームドライブ。キリンは沢山見かけるが、他の大物には出くわさない。昼、ゲートのすぐ外にあるMokuti Lodgeへチェックイン。公園内の国立キャンプと違い、こちらは私営のロッジだ。部屋にはケーブルテレビも付いている。敷地内をぐるっと散歩してまわり、ぶらぶらと午後を潰す。

16時、ゲームドライブへ。やはり、大物動物がいない。スプリングボックとシマウマとキリンばかり。キリン愛好家だったら堪らない一日だっただろうなと、インドンゴ君&ダーリア嬢と共に苦笑。Mokuti Lodgeに戻り19時から夕食。


1月24日

  • Etosha National Park
  • Mokuti Lodge泊

ライオン三姉妹7時、ゲームドライブに出発。キリンの大群に続き、ついに、ライオンと遭遇。しかも三姉妹。水場で水を飲み、我々の車のすぐ側まで近づいてきた。さらに、同じ水場にゾウの団体もやってきた。一気に満足度が高まる。動物の死骸に群がるハゲワシ、オリックスの群、単独行動をしているゾウなども見つけながらMokuti Lodgeへ戻る。

好奇心一杯のハイエナ昼食後は、プールサイドで読書など。夕方16時半から最後のゲームドライブ。しかし、あまり動物がいない。日が傾き、もうロッジへ戻ろうかという時に、ハイエナ三兄弟と遭遇。すぐ近くに巣穴があり、母ハイエナがいるようだが、外に出ているのはこの三兄弟だけ。まだ子供なので、好奇心が強い。車の側に寄ってきて、タイヤの臭いをかいだりしている。可愛い。

インドンゴ君は疲れたのか、ライオンを見つけられてほっとしたのか、早々と部屋に戻った。20時、夕食。


1月25日

  • Windhoek帰着。Pension Moni泊

8時にロッジを出発。Otjiwarongoで給油した後は、ずんずん幹線道路を進む。途中、インドンゴ君のおじさんの友達が道端でパンク修理しているところに出くわし、車を止めて、手伝う。

13時過ぎ、Hotel Pension Moniに到着。インドンゴ君&ダーリア嬢とお別れ。日曜日なので、店の多くが閉まっているが、Post St. Mallのカフェで昼食。Moniの中庭でのんびりとし、夕食は、Gathemannレストラン。Independence Ave.を見下ろす二階のテラス席で、カルパッチョと、クドゥのシュニッツェル。ビールとワイン。20時頃、Moniへ。


1月26日

  • 08:50、Windhoek発 SA1073
  • 10:50、Johannesburg着 / 14:15、Johannesburg発 SQ405
  • 翌06:35、Singapore着

6時50分、空港へ。8時50分発Jo'burg行きで、ナミビアを後にする。14時15分、Jo'burgからSQ便。お馴染みのキャビン・アテンダントの制服を見た瞬間、シンガポールに戻った気がして、休暇の終わりを実感した。


見ることができた動物の種類に関しては、ちょっと残念なところもあったが、概ね、楽しい旅行だった。Windhoekはもとより、途中で給油のために立ち寄った小さな町も、とても清潔感があるのが印象的だった。人種・民族間の摩擦があまり感じられず、治安に関しても大きな問題は無い(ただし、アンゴラ国境を除く)。人口密度の低さが、こういったことに好影響を与えているのかもしれない。

そういう意味では、安心して旅行できる国だった。ドイツの植民地だったせいか、自国産の美味しいビールがあり、食事のレベルも高かった。日本からは遠いが、ヨーロッパ、特にドイツ人にとっては、メジャーな観光地になりつつあるようだ。しかし、今後、これ以上の発展を目指すためには、人口の少なさがネックとなるのではないかと心配にもなってくる。応援したくなる国が、一つ増えた。



270枚の写真を、→ ここをクリック ← にまとめておきました。使用したカメラは、コニカミノルタの、Dimage A1。残念ながら、オートの設定で使うと、色のバランスがもう一つ安定しない印象があります。広角28mm相当から200mm相当までの7倍ズーム、手ぶれ補正機能、高速なオートフォーカスと、スペックは素晴らしい。露出とホワイトバランスが決まれば非常に綺麗な画像を得られる。しかし、カメラ任せにしていると、どうも外してしまうことが多い。手に馴染むデザインで、メカとしては気に入っているので、ちょっと悔しいところです。マニュアルで設定を細かく変えられるので、技量があればもう少し画質を追い込めたのかな…。ダーリア嬢は、同じくミノルタの、フィルム式一眼レフを使っていました。ちょっと触らせてもらったけど、やはり見やすい光学ファインダーは魅力的でした。あの大きさでデジタル式だったら、すぐにでも欲しい…。