IN/OUT (2003.2.8) |
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ということで、旧正月休み終了。 最近のINハノイのテト (03.01.31-03.02.03)今年のChinese New Yearは、長期休暇を取るには都合の悪い日取りとなったため、遠くへの旅行は早々と諦めたのだが、かといって、何も無いシンガポールで旧正月休みを過ごすのは、ぱっとしない。アジアの喧噪はうんざりだし、近場で静かそうな所…、と考え、ラオスなどを候補にしたのだが、動き出したのが遅く、適当な航空券が取れない。どうしたものか、と悩んでいる時に、啓示が! 矢野顕子の名曲、"Let's Hawai'i"。そうだ、ハワイは遠いが、ハノイは近い。Let's Hanoi! 1月31日 大晦日朝10時半発のSQ便にて、ハノイまで3時間弱のフライト。空港から市内へは、値段の安いエアポートバスを使ってみた。一応、ベトナム航空が運営しているバス・サービス(大型のバスではなく、コーチ)だが、決して、効率的・組織的な運営ではない。個々のドライバーが客引きをしていて、満員になったバスから出発するという方式のようだ。私の選んだバスは、どうもドライバーの押しが弱く、なかなか客が集まらなかったが、最終的に、ベトナム人大人数家族をゲットして、無事、出発。 道路は、とにかくバイクの数がすごい。そして、走る車は皆、クラクションを鳴らしっぱなしだ。バイクたちの無秩序な走りに警告を与えるためには、鳴らさざるを得ないのだろうが、とにかく、クラクション、圧倒的な稼働率である。さらに、無秩序なのはバイクだけではない。大型四輪車も平気で反対車線を逆送する。怖い。 ようようホテルに辿り着き、しばらく休憩の後、町へ出てみた。何せ、この交通事情。道路を横断するのが怖い…。ほとんどの人がバイクを使っているのだろうか、歩行者の数も少ない。ホテルから町の中心部、ホアンキエム湖まで、歩いて15分ほど。曇天で気温も20度弱。道路横断さえなければ、快適な散歩である。ベトナムも旧暦で正月を祝う(ベトナム正月 = テト。ベトナム戦争時のテト攻勢で有名)。そのため、あちこちに赤い飾りつけが目立つ。今年の干支である山羊の張りぼてを用意し、その前で記念写真を撮影するという商売も多い。 有名な「水上人形劇団」の劇場へ行ってみると、普段は20時開演のところ、大晦日の今日は17時15分開演だという。それなら開演まで、小一時間で好都合。早速チケットを購入し、一旦、近くのカフェへ。レモンティーを頼んだら、「レモンティーのティーバッグ」。どんなに薄くても良いからレモンぐらい入れてくれ、という気もするが、これがベトナム流か さて、水上人形劇は、舞台上に水が張られていて、水上で人形が演技をするのだが、上から糸で操作する人形ではない。もちろん、真下から動かすことも難しい。となると…、ということなのだが、制約の大きそうな操作でありながら、こちらの予想を超える動きのバリエーションは見事だ。劇といっても、ストーリー仕立てではなく、農村生活のスケッチ集といった趣で一時間。入り口で扇子を渡してくれるのだが、この時期は、それほど暑くはない。むしろ、舞台上で使われる爆竹や花火の火薬の匂い対策に役立ってくれた。最後、人形を操っていた人達が登場し、場内、大喝采。 人形劇の後は近くのレストランへ。President Garden Restaurant。ガイドブックによれば、ベトナム料理のメニューもあるとのことだったが、実際は、普通のフレンチ・レストランという感じだった。建物の雰囲気は良いのだが、客は、日本人の団体ツアー客二組と、やはり日本人の老夫婦一組だけ。もしかしたら、日本のガイドブックでだけ有名な店なのかも。しかし、味は良かった。車海老のグリルとフィレ肉。どちらも、脂肪分ぎっしりの、やや古めかしいフレンチだけど、やはり、こういうのはうまい。安くはないが、シンガポールで食べることを考えると割安感があるお値段だった。 ホテルへ戻り、絵はがきを書いたり、バーに行ったり。TVに映る年越しイベントの生中継は、歌手の歌、振り付け、衣装、演出、すべてが、なんとも、垢抜けない。昭和初期?って感じだが、とりあえず、ベトナムの人々は美男美女が多いのが素晴らしい(実際、町中で見かける人達も、シンガポールに比べたらもう…)。就寝後、年越しの花火大会の音が響くが、ベッドから出ず。 2月1日 正月一日目8時30分頃起床。ホテルで朝食後、徒歩、町へ出る。まずは、ヒルトン・ホテルからオペラハウス辺りへ向かう。残念ながら、その近くにある歴史博物館も革命博物館も休み。やはり元日。ほとんどの商店も閉まっている、道行くバイクの多くは、二人乗り、三人乗りの家族連れだが、運転するお父さんは背広にネクタイ姿の人がほとんど。きっと、それがお正月のお洒落なのだろう。かつては日本のお父さんもそうだったよな。ただし、女性は普通の格好の人がほとんど。アオザイは、外人向けショップの店員などを除くと、一般には着られていないようだ。 しかたなく、そのまま旧市街へ。白人バックパッカーの皆さんは元気に歩いているが、店はほとんど休み。道端の露店でベトナムうどんを食べている地元民は多いが、これにトライする勇気は出ない。ベトナムの露店で特徴的なのは、椅子もテーブルも非常に低いこと。風呂場の腰かけみたいな椅子なのだ。で、具はタニシの一種だろうか?淡水産と思われる巻貝と生野菜。豚だか鶏だか、よくわかないぐちゃぐちゃしたものを煮込んだスープ。軟弱者は確実に下痢しそうである。 しばらくうろうろして、ホアンキエム湖の近くのカフェで軽食。そのまま大教会、ホアロー収容所辺りを通って、初詣らしき人たちでにぎわう寺院を冷やかしたりしつつ、ホテルへ帰る。寺院の前で売られている花(お供え用?)が、真っ赤なバラというのが、ベトナムっぽい。おしゃれだ。 ホテルで風呂につかり、iPODで音楽を聞きつつ、村上春樹の小説。極楽。 夕方、再び町へ。ソフィテル近くのカフェでチーズケーキとコーヒー。それから、幸いにも営業中だったベトナム料理店、Wild Rice。以前は個人の豪邸だった屋敷をレストランに改装したような作りの店内は、とても良い雰囲気なのだが、あまり綺麗な格好をしていない、予約無しの一人者だと、良い席に案内してもらえないのが、ちょっと悲しい。ここでは、カニとホワイト・アスパラガスのスープ、ハノイ風春巻き、牛肉のサテイ。ほどよくスパイシーで、でもタイ料理のように匂いがきつくはなく、辛すぎもせず、美味。お腹いっぱいになったが、値段は、ビール一本を含めて 10USドルちょっと。確かに、店の雰囲気や盛り付けを別にすれば、料理そのものは決して高級なわけではないが、それにしてもコストパフォーマンス高過ぎ。昨日のフランス料理がばかばかしくなってしまう。 2月2日 正月二日目朝から、冷たい霧雨。今日も観光地などは期待できないと思い、目的も持たず、とりあえず町へ向かう。上着も傘も持たずに出てしまったが、少々寒い。雨も、傘をさすほどではないが、静かにシャツを濡らしていく。自然に足が向かうのは旧市街。やはり、ほとんどの店は閉まったままだが、路上で、野菜や大きな魚(雷魚のようだ)、怪しい肉塊、生きた鶏やアヒルなど売る人達がちらほら。ベトナムうどん屋も昨日より多いようだ。 ベトナムの民家で不思議なのは、通りに面して大きく間口が開いているところが、いきなり居間になっているところが多いことだ。扉も玄関もなく、往来から数十センチ奥に、いきなり食卓があり、TVがあり、家族が団欒している。あれでくつろげるのか?それほど土地が無いのか?? そういった家々を横目に、地図も確認せず、路地から路地へ。細い路地、面白そうな雰囲気の小道を、次々と曲がりながら2時間ほど歩いたところで、すっかり現在地が分からなくなった。ようやく地図を取り出して調べると、思いのほか遠くまで来てしまったようだ。何が有るわけではないのだが、何故か飽きない町並みなのである。大教会の方へ戻り、イタリアン・カフェで昼食と軽く読書。それにしても、道路の横断には、なかなか慣れない。信号無視、逆走も当たり前のバイク集団の中を突っ切るには、バイク運転手とのあ・うんの呼吸が要求されるようだが、どんくさい旅行者には無理な話。「考えるな。(バイクの流れを)感じるんだ!」と、言い聞かせながら進むが、地元の歩行者の大胆さにはついていけない。 帰る前に、ホテル近くのレーニン公園の方へ向かってみる。公園の隣には、SEGAの機械が並んだゲームセンターがある。ちょっと意外だが、地元の若者で大賑わいだ。レーニン公園は、入園料2,000ドン(16円ぐらい)。安っぽい歌謡ショー、レトロ調の遊具、花壇や噴水で子供の写真を撮る人々など、地元民の憩いの場、と言う感じだ。魚の干物を七輪で炙る屋台や、手回しの綿菓子製造器なども物珍しく、結構長時間、ぶらついてしまった。 すっかり体が冷えてしまったので、夜は、ホテル内の和食屋で済ます。 2月3日 正月三日目ホテルからタクシーで空港へ。建物はそこそこ立派なのだが、中の商店や食堂があまりにも貧弱。午後2時のSQ便でシンガポールへ戻る。 元々、観光にはあまり期待せず、ホテルでのんびり寝正月という目論見だったのだが、結局、随分と旧市街を中心に歩き回った。とても人間くさい町という印象だ。高層ビルは無いが、寂れている訳でもない。豊かとは言えないかも知れないが、極端に貧しいということは無さそうだ。儲け主義に走ったしつこい商売人に辟易させらる事も無かったし、町歩きは、総じて快適だった。もっとも、ここに駐在員として来たなら、きっと、外国人専用のマンションに住み、外国人用のスーパー・マーケットでしか買い物しないような暮らしになるような気がする。観光客として地元民の暮らしぶりを覗かせていただく、ぐらいの距離感が良かったのだとも思う。 フランス語を喋る旅行者が多く、また、空港の職員、水上人形劇の解説者、カフェの店員など、フランス語を話すベトナム人も多いところが、元仏領インドシナらしい。残念ながら曇天続きで、瑞々しい色彩に溢れた熱帯の旧植民地、という風情は味わえなかったが、なかなかに興味深いハノイのテトだった。 今回の旅行には、買ったままになっていた「海辺のカフカ」を持って行った。ハノイのカフェで、ホテルのバスタブで、僕は物語内をさまよう。今までページを開く気にならなかったのは、まだ機が訪れていないと、本に拒絶されていたのかもしれない。これは、日常生活とは切り離された旅先でこそ読まれるべき物語だったのだと、僕は思う。 「僕」と書いてみたくなるところが、村上春樹作品読了後にありがちなリアクションなのは分かっているが、それを止められない。やくざ映画を観終わった観客が、健さんのように歩くのと同じだ(例えが古い…)。 |