ジァンジァンでの矢野顕子さんの公演を観てきた。
渋谷、公園通りの一等地。ここで30年間、商業主義とは無縁に良質のパフォーマンスを提供し続けてきた小劇場、それがジァンジァンである。
キャパシティは、椅子席が多分130ぐらい。立ち見客を押し込んでも200人でぎゅうぎゅう詰め、という感じだ。今回の矢野さんの公演チケットは3,000円。このキャパでこの料金、どう考えても採算的には厳しいに違いない。それなのに、矢野さんをはじめ、イッセー尾形氏、清水ミチコ氏、おすぎ氏、永六輔氏、美輪明宏氏、カンダアキコ氏、高橋竹山氏、故淡谷のり子氏、などなど多くのビッグネームが定期的な公演を続けてきたのは、スタッフの志の高さと、それに呼応したパフォーマーの心意気のおかげだろう。
矢野さんはジァンジァンでのご自分の公演について
「ここでは、本当に好き勝手やらしてもらっています」
「ここは、自分の居間の延長」
などと発言されているが、確かに、他の場所でのコンサートとはひと味もふた味も違う、リラックスした楽しそうな演奏を披露してくれる。会場の狭さも手伝い、場内は独特の親密さ溢れる空間となる。さらに、
「家に招いたお友達と食事をしているうちに興が乗って、一緒に歌い始める。そんな雰囲気で共演できる人をお呼びしたい」
という基準で選ばれたシークレット・ゲストも、ジァンジァン公演の大きなお楽しみだ。
私は、1985年、山下達郎氏と坂本龍一氏がゲストで登場した公演を観て以来、何度も足を運んでいるが、演奏自体にも、会場で知り合った人達にも、沢山の思い出がある。しかし、この4月いっぱいで、ついにジァンジァンはその歴史に幕を閉じることになった。矢野顕子さんの最終公演、観ないわけにはいかない。
チケットは、東京の友人に発売日早朝から並んで取ってもらったのだが、座席指定などは無く、当日並んだ順の入場となる。この会場では、いままでいつも立ち見の辛い体勢で聴いていたので、最後のチャンス、良い席をゲットするため朝5時半頃から並び始めた。本当はもっと遅くからでも大丈夫だと思っていたのだが、前日会った友人達から、色々と脅かされたのだ。結果的に、5番目の入場となり、最前列、矢野さん正面の椅子席をゲットできたのだからOKではあるが、前々日は深夜便のエコノミー席で寝不足。前日は友達と飲みに行って、当日5時起き。万全と言えない体調の熱帯者には東京の寒さが身に染み、ユンケルをがぶ飲みしながら、かろうじて生きながらえた、という感じの13時間の座り込みだった。一緒に並んでいた友人・知人達にも心配をかけたようで申し訳ない。
肝腎のコンサートの中身は、やのコレの方に書くが、とにかく素晴らしかった。シンガポールから半日かけてやってきて、13時間行列しても、そんな苦労などプランクトンのように思われる凄さだった。とにかく一曲目から、飛ばしまくりの演奏。ピアノはあくまで切れ味鋭く、コンサートの連戦でやや疲れ気味かと思われた喉の具合も気合いで押し切り、狭い会場にはリズムを取る矢野さんの左足の音も響き渡る。途中、ゲストで登場した奥田民生氏とのコンビネーションも絶妙で、もう大変だったんである。
翌朝、ホテルをチェックアウトし、誰もいないジァンジァン入り口の階段を見下ろす。もう、あの空間を二度と体験することはできない、と思うと、過去の思い出が走馬燈のように頭をよぎる。失われていくもののはかなさを想いながら「ニットキャップマン」を口ずさむと、不覚にも涙が溢れてきた。大荷物を抱え、小雨の渋谷を泣きながら歩くおセンチ野郎になってしまった。他人からは危なく見えたに違いない。