IN/OUT (2024.4.14) |
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春を一気に飛び越えて初夏になったような今日この頃。この何年かで、天候のばらつきが極端なのが当たり前の状況になったという気がします。 最近のIN”DEEP FOREST - BURNING TOUR 2024 - 30th Anniversary” @ ビルボードライブ東京 (24.4.8)フランスのエレクトロ・グループ、Deep Forestのライヴを観に、ビルボードライブ東京に行ってきた。 デビュー30周年。昨年リリースした新アルバム”Burning”を引っさげてのツアーである。なお、デビュー時は、Éric MouquetとMichel Sanchezの二人組のユニットだったが、2005年にMichel Sanchezが脱退し、現在はÉric Mouquetのソロ・プロジェクトとなっている。今回のツアーでは、サポートにAlune Wade(Bass, Vocals)が参加。 彼らの音楽は、打ち込み音の上に、録音された民族音楽や人間の声、動物の声、自然音などを重ねたものが主。ちょっと、ニューエイジ風の雰囲気もあるが、ビートは鮮烈で癖になる印象だ。と言いながら、私はデビュー・アルバムとベスト盤を持っているだけのライト・リスナー。ビルボードライブ東京のスケジュールに名前を見つけ、懐かしさからチケットを取ってしまったが、果たして… Éric Mouquetが奏でるキーボードとサンプリング・マシーンから出てくる民族音楽っぽい女声ヴォーカル、そしてAlune Wadeのベース演奏が、良い感じに溶け合う。新アルバムの曲ばかりだったらついて行けないかも、と危惧していたのだが、ほぼベスト盤的な選曲で、懐かしのデビュー・アルバムからも、たっぷり演奏してくれた。特に”Deep Forest”と"Sweet Lullaby"が聴けたのが嬉しい。つくづくカッコ良いサウンドに感涙。 打ち込み音も、無機質な感じでは無く、Éric Mouquetがリアル・タイムでしっかりコントロールしている。また、Alune Wadeのベースが見事なテクニックで、ガッツリ聴かせる。彼が時折披露するヴォーカルも、特にアフリカをイメージさせる曲との相性がバッチリ。エレクトロ系ではあるが、見事なライヴ・サウンドだ。 因みに、サウンドは尖っているが、MCになると、Éric Mouquetが実に人の良さそうなおじさんという雰囲気になるのも良し。 ということで、それほど聴き込んでいなかった曲も含め、捨て曲無しのパフォーマンス。全員スタンディングになったアンコールの”Café Europa”まで、しっかり堪能。チケット取得、大正解である。 「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ―― 国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」@国立西洋美術館 (24.4.13)主として20世紀前半までの「西洋美術」を収蔵/展示している国立西洋美術館が、開館65年目にして初めて取り組む「現代美術」の展覧会を観てきた。 美術館とは本来、現在のアーティストが収蔵品によって触発され、未来の芸術をつくっていく刺激の場で有るべきではないのか?この美術館の設立者達も、そのような志を持っていたのではないのか? 果たして、今の国立西洋美術館は、目指すべき「未来の世界が眠る部屋」となっているのか? という自問から企画された展覧会。その気合いの入り方は、やたらと長い展覧会タイトルにも表れている。 ということで、「西洋美術館」でありながら、この展覧会に参加しているのは、日本で実験的な制作活動をしている作家達。 展示の初めの方で印象的だったのは、内藤礼の作品(右側)。一見すると、真っ白のキャンバスだが、ごくごく淡い色彩で絵画が描かれている。その横に、敢えて、国立西洋美術館が所蔵するPaul Cézanneの作品を配置。 今回出展した作家達は、この歴史ある美術館での展覧会ということで、収蔵品や展示室と、自分たちの作品との相乗効果に色々と知恵を絞ったようだ。 鷹野隆大は、IKEAの家具でコーディネートされた部屋を設け、そこに、この美術館が所蔵する作品を飾る。作家本人によれば、 国立西洋美術館の基礎となった松方コレクション(実業家 松方幸次郎が大正初期から昭和初期にかけて築いた美術品コレクション)の中で、行方不明となっていたClaude Monetの「睡蓮、柳の反映」。2016年になってパリで発見され、国立西洋美術館に寄贈されたのだが、かなりの部分が欠損した状態だった。 その作品の前に、彩色された絹のスクリーンを掲げた、竹村京の「修復されたC.M.の1916年の睡蓮」は、歴史ある国立西洋美術館の所蔵品と現代美術家のコラボレーションが多数試みられたこの展覧会でも、最もアイディアとテクニックが効果的で、一番印象に残った作品だ。 他にも、所蔵品と現代美術家の作品を並べる展示は多数。ただ、展覧会の後半になると、いささか食傷気味だ… 辰野登恵子とJackson Pollock 20名を超える作家の作品に加え、国立西洋美術館が誇る歴史的名画も並ぶ、大ヴォリュームの展覧会。公式サイトで自分たちの美術館のことを「過去を生きた、遠き異邦の死者の作品群のみが収められている」と言い切る心意気もすごい。が、やや気負いすぎ、と言うか、一部は空回りしている感じすらある。特に、弓指寛治が、美術館の学芸員と共に山谷のドヤ街を訪れて製作した大規模な展示は、美術館と現実社会との関わりを問い直そうとする意欲は買うが、この美術展に期待していたものとは違うかなぁというのが、私の感想だ。 ということで、自分の中でも賛否両論で咀嚼しきれないところも残る美術展ではあったが、名門美術館が取り組んだインパクトのあるチャレンジなのは間違い無い。 最近のOUT"Infinity Pool" (24.4.13)Brandon Cronenberg監督の新作を観てきた。あの、David Cronenbergの息子である。 主人公の作家は、スランプを打開するため、妻と外国の高級リゾート地を訪れ、そこで、小説のファンを名乗る女性とその夫と知り合う。二組の夫婦は、リゾートの敷地外にドライブに出かけ、あるトラブルに遭遇する。そこから明らかになったのは、このリゾート地がある国には、観光客はどんな犯罪を起こしても、大金を払って自分のクローンを作り、それを身代わりとして死刑にすれば罪を免れられるというルールがあること…。この異常なプロット、そして、不穏な雰囲気に満ちた画面作りに、父親譲りの変態性が現れている。 どんな罪を犯しても、処刑されるのは自分のクローンで、自分自身に害は及ばない。ということで、主人公達は、加速度的にモラルを逸脱していく。「A Clockwork Orange(時計じかけのオレンジ)」を思わせるヴァイオレンス・シーンがあり、J. G. Ballard的悪夢世界が展開し、主人公はどこまでも転落していく。 着想自体は面白いと思うし、人間の嫌な面をこれでもかと引きずり出すようなストーリーは強烈。主演のAlexander SkarsgårdとMia Gothは、まさに体当たりの熱演。 夫はスランプの作家、妻は出版界の大物の娘という夫婦間のパワー・バランス。リゾートの宿泊客の間に自然発生するヒエラルキー。リゾート内の富裕層と、敷地外に居住する貧しい地元民の格差。これら、人が逃れられない階層意識を複合的に描き、その分断をテーマにしているのかもしれない。 ただ、物語のキーである「クローン」にリアリティがなさ過ぎるのが問題だ。舞台となるのは、貧困層が多い架空の国。そんな国に、何故、このような超高度なクローン技術があるのか? そして、創り出されたクローン(現在の自分とまったく同じ姿形)は、身体的特徴以外はどうなっているのか?記憶や思考も複写されているのか? 何の説明も無い。肝心なところが、何とも曖昧なので、ここで語られる文明批評は薄っぺらにしか感じられない。 David Cronenbergの息子が変態映画を撮るとなれば、それなりに資金もスタッフも出演者も集まってくるし、結果、それなりの商業映画は仕上がるのだと思う。しかし、私には、親の七光り以上の才気は感じられなかった。残念。 まだ、ヒノキ花粉で目がしょぼしょぼするのが春の名残。これも、あと少しの辛抱かな。 |