- やっぱり絵は実物じゃなくちゃね (1997.9.6)
- 「(自称)孤高の天才画家」にして矢野顕子ファンでもある橋本礼奈さんから招待状をいただいた「主体展」@東京都美術館 を観てきた。公募団体展であるためいろいろな傾向の作品が展示されており、非常に印象的な作品もあれば興味を引かない作品もあったが、全体としては楽しめた。サイズの大きい絵が多く、あまり好きになれないタイプの作品でもとにかく気合だけは感じられるのが良い。絵画って、決して二次元の芸術じゃなく、絵の具の盛り上りや額縁や周囲に醸し出す空気まで含めた三次元の芸術であると実感する。
ビル・ゲイツ氏は有名絵画のデジタル化に御執心との噂も聞くが、どんなに高品位ディスプレイが進歩しても実物の絵が持つ力強さは再現できないだろう。たとえ、実物大で表示できるような巨大なスクリーンが開発されても、質感までは平面では表現しきれないし。ただ、「量産できない絵画」という芸術にこだわるということは、経済的にはペイしにくいんだろうなぁ、と考えてしまう私は、世俗の垢にまみれているのか?
- 広くても狭くても、檻は檻 (1997.9.6)
- 都美術館に行ったついでに上野動物園に入った。動物の見せ方が随分と進歩しているのが印象的だ。昔は「見世物」風の展示が多かったような気がするが、今では、子供達に動物に親しんでもらうことと、稀少種を保護すること、という動物園の目的が前面に出され、そういう意味では好感が持てる。特に、トラやゴリラはかなり自然環境に近い飼育場を与えられている。ジャイアント・パンダはもちろん特別待遇だ。一方、鳥類、とくに猛禽類は狭いケージで、ちゃんと飛ぶ事は不可能な境遇にいる。ゾウ、サイ、カバといった巨体の持ち主も、身体の大きさとは不釣り合いな檻で我慢するしかない。シロクマなんて、「氷の絵」が描かれただけの炎天下に放り出されている。やっぱり、どこかおかしい。人間の居住地域とは隔離した保護区で自然のままに(=勝手に)生きさせてやることを、人口問題・食糧問題まで視野に含めて考えなけりゃ駄目だと思う。コンピュータ管理され結局は崩壊したジュラシック・パークよりは、サイトBの方がまし(映画の出来の話じゃない)、ということだ。
- ソリティア as 猿のラッキョ剥き
- PCのOSをNTに変更して一ヶ月。一番気に入ったのが、自作のテクスチャを貼ることができる3Dのスクリーンセーバーだったりするのが恥ずかしいが、さらに恥ずかしい事に、ソリティアにはまってしまった。「はまった」ということは「IN」じゃないのか、という気もするが、これは肯定してはいけない事だと理性(もしくは"みえ")が言うのでこっちに書く。
「マウス操作独習用ソフト」という位置付け?で、Win3の時代からお馴染みの単純ゲームで、何を今さら、と言われればそれまでなんだけど、「カードが飛ぶところのアニメーションでディスプレイ・ドライバの出来をチェックしてみよう」と考えてプレイしたところ、はまってしまった。オプションを「金額表示で繰り越し」にすると、難易度が上がりゲーム性も増す。この状態で「元を取り返すまで」、とやり始めると、終われない。「もう寝なければ」と思いつつ、「次は上がれるかもしれない」とワン・モア・プレイ。いい年してこんなもので寝不足になっている場合じゃないのだが..... 「マックにはソリティアがついていないから買う気がしない」、と言い切った知人もいるが、もはや私に彼を笑う資格はない。ビル・ゲイツ氏の掌の上で、ラッキョを剥き続ける猿になったような気がする。
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